徳川 斉位(とくがわ なりくら)は、江戸時代後期の武士。御三卿・一橋家の5代当主。妻は11代将軍徳川家斉の娘・永姫(誠順院)。
生涯
文政元年(1818年)6月15日、田安家当主・斉匡の第四子として生まれる。母は高月氏。幼名は郁之助、豊之助。
文政8年(1825年)2月6日、一橋家当主・斉礼の養子となり、翌7日に豊之助と改名する。同年3月27日、一橋邸に移る。文政10年(1827年)6月25日に元服し、伯父にあたる将軍・徳川家斉から偏諱を受けて斉位と名乗り、従三位・左近衛権中将兼民部卿に叙される。同年7月27日、神田橋に居を移した。
文政13年/天保元年(1830年)6月14日に養父・斉礼が没したため、同年7月19日、一橋家の当主となる。同6年(1835年)11月15日、将軍家斉の娘・永姫(徳川家慶の妹)と婚姻する。同7年(1836年)2月29日、一橋邸に移る。同年12月1日、参議に任ぜられた。
天保8年(1837年)5月7日、死去。20歳。法号は崇雲院。
天保14年(1843年)4月2日、権中納言が追贈された。
嗣子がなかったため、義兄である家慶の第五子・慶昌が末期養子として跡を継いだ。
家族
- 正室:永姫(文政2年1月14日(1819年2月8日)- 明治8年9月23日(1875年9月23日))
脚注
参考文献
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- 宗尹1735-1764
- 治済1764-1799
- 斉敦1799-1816
- 斉礼1816-1830
- 斉位1830-1837
- 慶昌1837-1838
- 慶壽1838-1847
- 昌丸1847
- 慶喜1847-1859
- (当主なし) 1859-1862
- 慶喜1862-1866
- 茂栄1866-1884
- 達道1884-1933
- 宗敬1934-1989
- 宗信1989-1993
- 宗親1993-現在
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