徳川 慶壽(とくがわ よしとし[1])は、江戸時代後期の武士。御三卿・一橋家の7代当主。
生涯
文政6年(1823年)3月4日、田安家当主・徳川斉匡の五男として田安邸で生まれる。母は八木氏。幼名は房之助。
天保9年(1838年)5月24日、一橋家の家督を継ぐ(「系譜(田安徳川)」)。同年9月25日、元服し、将軍徳川家慶から偏諱を受けて慶壽と名乗り、従三位左近衛権中将兼民部卿に叙任される。同年11月15日、一橋邸へ移る。
天保12年(1841年)12月2日、伏見宮貞敬親王の娘・直子と婚姻する。
弘化3年(1846年)12月1日、参議に任じられた。
弘化4年(1847年)5月7日、25歳で死去した。法号は承休院。東叡山寛永寺・凌雲院に葬られた。
同日、尾張藩藩主・徳川斉荘(元田安家4代当主)の子である昌丸が跡を継いだ。
嘉永6年(1853年)2月10日、権中納言が追贈された。
脚注
参考文献
外部リンク
|
---|
- 宗尹1735-1764
- 治済1764-1799
- 斉敦1799-1816
- 斉礼1816-1830
- 斉位1830-1837
- 慶昌1837-1838
- 慶壽1838-1847
- 昌丸1847
- 慶喜1847-1859
- (当主なし) 1859-1862
- 慶喜1862-1866
- 茂栄1866-1884
- 達道1884-1933
- 宗敬1934-1989
- 宗信1989-1993
- 宗親1993-現在
|
カテゴリ |