後法興院記『後法興院記』(ごほうこういんき)は、室町時代後期から戦国時代初期にかけて関白・太政大臣を務めた公卿近衛政家の日記。書名は政家の法号「後法興院」にちなむ。『後法興院政家記』とも呼ばれる。 概要公益財団法人陽明文庫には、寛正7年(1466年)の年始から永正2年6月4日(1505年7月5日、政家死去の半月前)までの自筆原本30巻(巻子本3巻と袋綴冊子本27冊。ただし、文明元年(1469年)から10年間分は欠失)が残されている。また、宮内庁書陵部・静嘉堂文庫・京都大学などに写本も残されている[1]。平成9年(1997年)6月30日に国の重要文化財に指定されている[2]。 応仁の乱・山城国一揆・明応の政変などの動乱期の政治情勢、家領の経営・維持に関する記事、当時の公家社会の伝統行事や風俗に関する記事など、その内容は多岐にわたっているため、当時の状況を知る上で貴重な史料となっている。 一覧陽明文庫に伝来した自筆原本は、巻子本3巻と袋綴冊子本27冊からなる。寛正7年・文正元年(1466年)、応仁元年(1467年)、同2年(1468年)の分は白茶後補表紙を装した巻子本で、「文正元年 後法興院御記」などの墨書外題がある。文明11年(1479年)以降の分は袋綴冊子本で、共紙表紙に「文明十一年記」などの外題を記している。なお、文明元年(1469年)から同10年(1478年)までの10年分と、文明17年(1485年)の巻首から2月8日條途中、5月4日條から5月26日條前半までを欠く[2]。
備考刊行一覧
デジタルアーカイブ脚注参考文献
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