張碓駅(はりうすえき)は、かつて北海道小樽市張碓町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130119[3]。
歴史
当駅は1880年(明治13年)の官営幌内鉄道としての開通時には設置されておらず、その15年後に北海道炭礦鉄道によって新設された。
しかし、当駅は張碓の集落から朝里駅方向に2キロメートルほど進んだ位置の崖下の海岸沿いに設置された。この位置に北海道炭礦鉄道が駅を設けた理由としては、集落の便を図ったというよりも、当地付近での土砂の採集・発送や、トンネル事故時の退避場所としての活用を企図したため、とされている[4][5]。
このため、張碓の集落から当駅へは線路沿いの人道を歩く以外にアクセスの手段が実質的に存在せず、列車と接触しての死亡事故も多発したため何度か住民による移転の要望が出されたものの[5]、実現することはなかった。
1990年(平成2年)以降は当駅の前に広がる海水浴場の客をターゲットとした夏季のみ営業の臨時駅となったものの、1998年(平成10年)から夏季の開設もなされなくなり[6]、2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正に合わせて、廃駅となった。
年表
駅名の由来
所在地による。アイヌ語の「ハルウㇱ(haru-us)」(食料・群生する)に由来する[14]。この場合の「食料」とは、オオウバユリ、ギョウジャニンニクなどの山菜を意味する。
なお、駅が設置されていた場所は「チャラセナイ(charse-nay)[4]」と呼ばれていた地で、アイヌ語で「(崖を)ちゃらちゃらと滑り落ちる・川」の意である。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅だった。跨線橋は設置されておらず、臨時駅となった当時には既に駅舎・便所・油燈室小屋・物品庫は、閉鎖されていた。国鉄時代は中線があったが[15]、その後撤去されている。ホームはかさ上げされておらず、幅が2メートルもないため通過列車に注意する必要があった。
利用状況
乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
乗車人員推移
年度
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乗車人員(人)
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出典
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備考
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年間
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1日平均
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JR調査
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1948年(昭和23年)
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65,247
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(178.8)
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[16]
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1949年(昭和24年)
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75,221
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(206.1)
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1950年(昭和25年)
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57,387
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(157.2)
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1951年(昭和26年)
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70,943
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(193.8)
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1952年(昭和27年)
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62,222
|
(170.5)
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1953年(昭和28年)
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54,427
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(149.1)
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1954年(昭和29年)
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61,451
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(168.4)
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1955年(昭和30年)
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67,310
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(183.9)
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1956年(昭和31年)
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59,650
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(163.4)
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1957年(昭和32年)
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52,459
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(143.7)
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1958年(昭和33年)
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60,089
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(164.6)
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1959年(昭和34年)
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63,000
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(172.1)
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[17][注釈 1]
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以下、年間値は千人単位のものを人換算
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1960年(昭和35年)
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67,000
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(183.6)
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1961年(昭和36年)
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58,000
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(158.9)
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1962年(昭和37年)
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48,000
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(131.5)
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1963年(昭和38年)
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31,000
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(84.7)
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1964年(昭和39年)
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28,000
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(76.7)
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1965年(昭和40年)
|
28,000
|
(76.7)
|
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1966年(昭和41年)
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30,000
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(82.2)
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1967年(昭和42年)
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36,000
|
(98.4)
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1968年(昭和43年)
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27,000
|
(74.0)
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1969年(昭和44年)
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13,000
|
(35.6)
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1970年(昭和45年)
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11,000
|
(30.1)
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1971年(昭和46年)
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9,000
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(24.6)
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1972年(昭和47年)
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10,000
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(27.4)
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1973年(昭和48年)
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12,000
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(32.9)
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1974年(昭和49年)
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13,000
|
(35.6)
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1975年(昭和50年)
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12,000
|
(32.8)
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1976年(昭和51年)
|
10,000
|
(27.4)
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1977年(昭和52年)
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9,000
|
(24.7)
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1978年(昭和53年)
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9,000
|
(24.7)
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1日平均乗車人員46人とする文献もあり[18]
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1981年(昭和56年)
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(0.5)
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[15]
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1日乗降客数1人
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1993年(平成05年)
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(2.0)
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[19]
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当時は臨時駅としての営業 1日乗降客数4人
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駅周辺
北北東方向に石狩湾を臨む位置にあった。
周辺の海岸はかつて海水浴場となっていて、古くは札幌 - 張碓間を往復する海水浴客向けの臨時列車も運転されていた。
駅のあった場所から南200メートルの高台を国道5号が、さらに50メートル南を札樽自動車道が走っている。
駅裏には「張碓の滝」と呼ばれる落差50メートル級の滝がある。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 函館本線
- 朝里駅 - 張碓駅 - 銭函駅
脚注
注釈
- ^ 『小樽市史』第10巻には単位の記載が欠落しているが、年間乗客数を千人単位で表したものと推測されるため、本表ではそのようにみなす。
出典
JR北海道
関連項目
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小樽 - 札幌 ■ | |
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札幌 - 旭川 ■ | |
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*打消線は廃駅・廃信号場 |