広野町(ひろのまち)は、福島県浜通りに位置し、双葉郡(1896年以前は楢葉郡)に属する町。いわき都市圏を構成する。
地理
江戸時代頃までは、農村としてだけでなく、浜街道広野宿の宿場町としても栄えた。
冬でも雪の少ない温暖な気候であり、Jヴィレッジの開設後、小規模ながらも浜通り屈指の観光地として知名度を上げている。キャッチフレーズは「東北に春を告げる町」。
地形
- 山:五社山
- 川:北迫川、浅見川、折木川
- 沼:二ッ沼
気候
広野(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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18.4 (65.1)
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22.8 (73)
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23.9 (75)
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28.2 (82.8)
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33.3 (91.9)
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36.5 (97.7)
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37.3 (99.1)
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37.0 (98.6)
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35.2 (95.4)
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31.6 (88.9)
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25.7 (78.3)
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23.0 (73.4)
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37.3 (99.1)
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平均最高気温 °C (°F)
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7.9 (46.2)
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8.2 (46.8)
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11.0 (51.8)
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15.6 (60.1)
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19.6 (67.3)
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22.3 (72.1)
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26.1 (79)
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27.7 (81.9)
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24.9 (76.8)
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20.3 (68.5)
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15.6 (60.1)
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10.7 (51.3)
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17.5 (63.5)
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日平均気温 °C (°F)
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3.3 (37.9)
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3.5 (38.3)
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6.3 (43.3)
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10.9 (51.6)
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15.3 (59.5)
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18.6 (65.5)
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22.4 (72.3)
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24.0 (75.2)
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21.1 (70)
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16.0 (60.8)
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10.8 (51.4)
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5.9 (42.6)
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13.2 (55.8)
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平均最低気温 °C (°F)
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−1.3 (29.7)
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−1.2 (29.8)
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1.4 (34.5)
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6.1 (43)
|
11.0 (51.8)
|
15.3 (59.5)
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19.5 (67.1)
|
21.1 (70)
|
17.7 (63.9)
|
11.9 (53.4)
|
6.0 (42.8)
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1.0 (33.8)
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9.0 (48.2)
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最低気温記録 °C (°F)
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−10.5 (13.1)
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−10.2 (13.6)
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−6.9 (19.6)
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−3.8 (25.2)
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0.8 (33.4)
|
5.5 (41.9)
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10.4 (50.7)
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10.6 (51.1)
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7.9 (46.2)
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−0.2 (31.6)
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−4.2 (24.4)
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−7.5 (18.5)
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−10.5 (13.1)
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降水量 mm (inch)
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58.3 (2.295)
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51.4 (2.024)
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109.5 (4.311)
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133.8 (5.268)
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151.5 (5.965)
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165.3 (6.508)
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191.3 (7.531)
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143.5 (5.65)
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222.7 (8.768)
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227.1 (8.941)
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85.7 (3.374)
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52.2 (2.055)
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1,600.3 (63.004)
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平均降水日数 (≥1.0 mm)
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4.8
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5.1
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9.0
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9.7
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10.5
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12.1
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13.0
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10.6
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12.5
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10.6
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6.8
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5.2
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110.3
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平均月間日照時間
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189.9
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183.2
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191.0
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192.4
|
194.1
|
151.6
|
147.5
|
175.0
|
137.5
|
144.8
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160.3
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174.7
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2,041.7
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出典1:Japan Meteorological Agency
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出典2:気象庁[1]
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歴史
- 古代
- 戦国時代から明治維新まで
- 戦国時代までは岩城氏の領内に入り、江戸時代には磐城平藩の領内に入った。
- 明治維新以後
福島原発事故の影響
当町は2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により発生した福島第一原子力発電所事故(以下「福島原発事故」と略す)により、町全域が緊急時避難準備区域に指定され、町民が避難した。緊急時避難準備区域は同年9月30日に解除されている[2]。
福島原発事故により、2011年3月15日以降、役場機能を小野町民体育館内に移転していた[3]が、同年4月15日にいわき市にあるFDKモジュールシステムテクノロジーいわき工場の社屋内に再移転し、湯本支所として設置した[4][5]。
緊急時避難準備区域解除後、住民の帰還を促すため、2012年3月1日に役場機能を元の広野町役場に戻した
[6][7]。湯本支所は同日より湯本出張所とした上で一部の業務を継続する。
なお、福島原発事故の警戒区域は2013年11月現在解除されている。
行政
人口
広野町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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4,939人
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1975年(昭和50年)
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4,796人
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1980年(昭和55年)
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5,335人
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1985年(昭和60年)
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5,323人
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1990年(平成2年)
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5,591人
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1995年(平成7年)
|
5,767人
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2000年(平成12年)
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5,813人
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2005年(平成17年)
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5,533人
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2010年(平成22年)
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5,418人
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2015年(平成27年)
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4,319人
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2020年(令和2年)
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5,412人
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総務省統計局 国勢調査より
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主な製造工場
学校
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道路線
路線バス
- 新常磐交通 - いわき市・広野町・楢葉町・富岡町を結ぶいわき~富岡線を運行している。町内では広野町役場入口に停車する。日祝日運休。
- いわき駅前 - 東一丁目 - 久之浜駐在所 - 広野町役場入口 - 道の駅ならは - 楢葉町役場 - さくらモール診療所前 - 富岡駅前
- 広野町民バス - 町内各地を月・水・金曜日に運行(祝日運休)。無料。
- 高速バス - 仙台市内発着の路線(仙台 - いわき線)全便と、東京都内発着の「いわき号」のうち1往復が町内の広野インター停留所を経由する(運行はいずれも新常磐交通)。
道路
姉妹都市・提携都市
国内
観光地
名所旧跡
- 奥州日の出の松 - 日本三大松の一つに数えられ、血を流すといういわれを持つ。「安寿と厨子王」に関する伝説の舞台でもある。
- 北迫地蔵尊 - かつての大飢饉の供養のため造立された地蔵菩薩。
- 二ッ沼歌碑 - 二ッ沼を詠った萬葉歌の刻まれた石碑(但し、ここで歌われたという確証はない)。
- 汽車の碑 - 「今は山中 今は浜…」で始まる唱歌「汽車」は、広野駅が舞台と誤解され、広野駅構内に碑がある。
- 楢葉八幡神社 - 源頼義が創建したと伝えられる五里八幡の一つ。
- 高倉城跡 - 戦国時代の岩城氏の拠点の一つで、岩城氏の家臣・猪狩氏の居城であった。
観光地
- Jヴィレッジ - 日本サッカー界屈指のナショナルトレーニングセンター。サッカー日本代表の来場回数も多い。
- 二ッ沼総合公園 - 町民公園。パークゴルフ、サマーフェスティバル会場。
- 折木温泉 - 神経系の病気に効くといわれる温泉。1704年(宝永元年)開設。
- 目の湯温泉 - 眼病に効果があるといわれる鉱泉。飲むと胃腸にも良いとされる。
祭事
- 4月 - 浜下り神事(たんたんぺろぺろ)
- 8月 - 広野町サマーフェスティバル
- 10月 - ひろの童謡まつり
- 11月 - 広野町収穫祭
商業施設
アラカルト
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
広野町に関連するカテゴリがあります。
脚注
外部リンク