広瀬 四郎(ひろせ しろう、1901年(明治34年)3月26日 - 1984年(昭和59年)11月10日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
岐阜県出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1931年(昭和6年)陸軍大学校第43期卒業。
参謀本部鉄道班長を経て、1940年(昭和15年)8月、北支那方面軍第3課長となる。1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進み、大東亜戦争に入ると支那派遣軍に転じた。ついで1943年(昭和18年)8月に第8方面軍第2部長に補され、終戦までラバウルの警備に就いた。この間、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進んだ。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」22頁。
参考文献