平 知信(たいら の とものぶ)は、平安時代後期の貴族。桓武平氏高棟流、春宮亮・平経方の子。官位は従四位上・出羽守。知信の家系はいわゆる「日記の家」に属し、知信も『平知信朝臣記』を残した。
経歴
白河院政期前期の承徳元年(1097年)蔵人所雑色に補せられる。また、大学に入って文章生となり、康和4年(1102年)高階宗章の叙爵を受けて、雑色であった知信が後任として六位蔵人に補任された。長治2年(1105年)正月に検非違使左衛門少尉に任官。嘉承年間(1106年-1107年)頃より関白・藤原忠実の家司としての活動が見え始めるが、高い実務能力を買われて、その後も長きにわたって忠実家の家司として活躍した。天仁元年(1108年)兵部少輔に任ぜられる。天永・永久・元永(1110年-1119年)にかけて忠実の許で実務を熟す様子が多く記されている[1]。
鳥羽院政期初頭の天承2年(1132年)正五位下・少納言に叙任される。保延(1135年-41年)頃に出羽守として地方官も務めた。
康治2年(1143年)12月29日に重病により出家。最終官位は前出羽守従四位上。翌康治3年(1144年)2月19日卒去。
官歴
系譜
脚注
- ^ 『殿暦』
- ^ a b c d e f g h 『中右記』
- ^ 『平知信朝臣記』
- ^ 『朝日日本歴史人物事典』
- ^ 『台記』康治2年12月30日条
- ^ 『本朝世紀』
参考文献
- 上杉和彦「平知信」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年