平田 静子(ひらた しずこ、1948年(昭和23年)8月11日[2] - )は、日本の経営者、出版プロデューサー。ヒラタワークス株式会社 代表取締役[3]。フジサンケイグループ初の女性役員[4]。2000年『チーズはどこへ消えた?』を出版プロデュースし、販売累計400万部を超える[5]。
経歴
福岡県出身[6]。明治大学短期大学卒業[7]。
フジテレビジョン時代
1969年、株式会社フジテレビジョンに入社[2]。総務部文章課に配属、一般事務を担当。当時は「女子25歳定年制」が存在しており、面接時の質問では「(25歳になったら)結婚して辞める」と答えていた[8]。その後、電波企画室に配属。23歳の時に結婚し、24歳で1人目を出産し産休を取る[7][9]。
その年(1972年)に「女子25歳定年制」が廃止される[10]。「もう少し貯金が増えるまで」と働き続ける。[9]その後、27歳で2人目を出産し1年間の休職を挟み28歳の時にグループ会議事務局へ配属され復職。書類作成や伝票整理などの事務全般を担当。31歳の時に離婚を経験。「きちんと仕事をして子ども達に恥じない給料をもらおう」とシングルマザーとして働く覚悟を決める[7][11]。
扶桑社時代
- 1984年
- 5月 フジサンケイグループ傘下の株式会社扶桑社へ出向、宣伝部へ配属[2]。
- 1989年
- 12月 書籍編集部 編集長 就任[2]。それまで編集は全くの未経験だった[12]。
- 1994年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2004年
- 2006年
- 2007年
- 2010年
- 3月 株式会社フジテレビジョン、株式会社扶桑社を定年退職[4][5]。
独立後
- 2010年
- 4月 ヒラタワークス株式会社を設立、代表取締役 就任[2]
- 2016年
- 7月 株式会社サニーサイドアップキャリア(現:株式会社グッドアンドカンパニー)代表取締役 就任[2][3]
- 2020年
- 2021年
- 2022年
人物
- 大学時代は「別に働かなくても良いや」と考えていた。偶然に学内でフジテレビジョンの募集の掲示を見つけ、「おもしろそうだからひとつだけ受けてみよう」と応募し、合格[8]。
- 入社後、仕事をこなす内に「人に喜んでもらえるよう目の前にあることを一所懸命やろう」と考えるようになる[8]。
- 編集長への就任は、「当時の社長がフジテレビジョン出身だからこそフレキシブルな発想があっての事かも」と語る[12]。
- 編集長時代にプロモーションに訪れた当時19歳の次原悦子と出会い、それ以降『親分』と呼ばれて慕われる[8]。
- 好きな本のジャンルは特に無く、常に「その時に手掛けている本」が大好き[21]。
- 定年後は「これまで大勢の方に頂いたことを人や世の中へお返ししよう」との思いでヒラタワークス株式会社を設立[4]。
- 当初は「頂いた仕事をとにかくやる。私にできることがあれば何なりと」というスタンスだった[22]。
- 著書『そういえば、いつも目の前のことだけやってきた』では、「女性は仕事か結婚かの二者択一と考える傾向があるが、そうでなく自然体で生きていれば人生は楽しめる事を伝えたかった」と語る[23]。
- 『「やったことがない」は「やらない」理由にはならない』と常に語る[3]。
- 株式会社サニーサイドアップキャリアのオファーは「最後の最後に、今までやったことないことをしてみよう」と受諾[3]。
- 座右の銘は『得意淡然、失意泰然』[24][注釈 1]。
書籍
著書
主な出版プロデュース
連載
受賞歴
脚注
注釈
- ^ 明代の中国の崔後渠の『六然』にある言葉。『得意の時に驕り高ぶることなく、失意の時にはゆったりと構えていなさい』という意味
- ^ 2024年4月現在、ヒラタワークス株式会社に転載されている。
出典
外部リンク