工藤 則勝(くどう のりかつ、1847年6月29日(弘化4年5月17日) - 1916年(大正5年)1月11日)は、明治時代の司法官。大審院検事。
経歴
工藤勇蔵の長男として陸奥弘前(現青森県弘前市)に生まれる。弘前藩藩校稽古館で学ぶ。1871年(明治4年)司法省に奉職し検事となり、1878年(明治11年)判事に転じる。1880年(明治13年)岩手重罪裁判長兼控訴院評定官となり、1889年(明治22年)宇都宮予審裁判所長、1892年(明治25年)東京地方裁判所検事正、1898年(明治31年)函館控訴院検事長を経て、1903年(明治36年)大審院検事に進んだ。
親族
脚注
参考文献