島袋 修(しまぶくろ おさむ、1965年2月26日 - )は、沖縄県糸満市[1]出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
来歴・人物
沖縄水産高時代から強肩の捕手で知られており、1学年下の比嘉良智とバッテリーを組んだ。卒業後は八幡大学へ進学。1年次の同年からレギュラーになり[1]、捕手だが俊足という事もあり1番打者を務めることも多く[1]、1986年には春秋ベストナインを獲得[2]。
1986年のドラフト5位で阪急ブレーブスに入団[1]。100m走11秒6に加え遠投100mを誇るという俊足強肩の捕手で、沖縄の先輩であり、同じく栽弘義監督の指導を受けた捕手出身の石嶺和彦のかつての背番号55を着用。1年目の1987年から一軍出場も果たしたが、打撃に難がありその後は二軍生活が続き、1991年限りで現役を引退[1]。
引退後はオリックスの一軍コーチ補佐(1992年)・二軍リザーブコーチ(1993年)・二軍バッテリーコーチ(1994年)・ブルペン捕手・スコアラーを経て、現在はチーフスコアラーを務める[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
年度別守備成績
年度 |
試合 |
企図数 |
許盗塁 |
盗塁刺 |
阻止率
|
1987 |
4 |
|
3 |
0 |
.000
|
1990 |
7 |
0 |
0 |
0 |
----
|
通算
|
11 |
|
3 |
0 |
.000
|
記録
背番号
- 55 (1987年 - 1991年)
- 85 (1992年 - 1994年)
- 109 (1995年 - 2002年)
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、273ページ
- ^ 九州六大学野球リーグ要覧
外部リンク