岡部 長著(おかべ ながあきら)は、江戸時代中期の大名。和泉国岸和田藩の第5代藩主。官位は従五位下美濃守。岸和田藩岡部家6代。
略歴
第4代藩主・岡部長敬の長男として岸和田城にて誕生。母は側室と言われている。幼名は豊次郎。
父と正室の間に2人の息子があったがいずれも早世したため、側室の子ながら世子となり、享保9年(1724年)の父の死去により跡を継いだ。この頃から岸和田藩の藩財政が窮乏化していたため、倹約令を奨励する17条の法令を制定する。これは長著公享保之条目といわれた。また、文武を奨励するなどした。自らも絵画や能楽に優れていたといわれている。なお、寛延元年(1748年)には、大坂での朝鮮通信使接待を担当した。
宝暦6年(1756年)5月10日、次男・長住に家督を譲って隠居し、直後の6月4日に江戸にて死去した。享年46。墓所は大阪府岸和田市の十輪寺。
系譜
岡部氏 岸和田藩5代藩主 (1724年 - 1756年) |
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小出家 | |
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松井松平家 | |
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岡部家 | |
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