岡本 久暢(おかもと ひさのぶ)は、江戸時代の旗本。
江戸城奥右筆組頭岡本久包の嫡男として生まれる。
享保20年(1735年)12月11日に徳川吉宗に初めて謁見し、延享3年(1746年)11月3日、父久包の死に伴い家督を継ぎ、小普請となる。この時、まだ幼かった妹を引き取り、やがて横尾家に嫁がせている。
子に恵まれなかった久暢は、叔母(父久包の妹。児玉氏室)の子を養子に迎えて久忠と名乗らせた。
宝暦3年(1753年)1月22日没。享年33。