岡島 重敏(おかじま しげとし、1894年(明治27年)1月6日 - 1961年(昭和36年)12月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1894年(明治27年)に愛知県で生まれた。陸軍士官学校第26期卒業。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級し、8月15日に歩兵第5連隊長(第3軍・第8師団・歩兵第4旅団)に就任した。1943年(昭和18年)8月に中部軍教育隊長に転じた。
1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し、3月9日に第2独立警備隊司令官(第20軍)に着任。中国戦線に出征し、長沙の警備に当たる中で終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
- ^ 『官報』第5654号、「叙任及辞令」1945年11月15日。
参考文献