岐阜県立岐阜北高等学校(ぎふけんりつ ぎふきたこうとうがっこう)は、岐阜県岐阜市則武清水にある公立高等学校。通称は「北高」(きたこう)や「岐阜北」。
概要
- 創立
- 1930年(昭和5年)
- 学科
- 全日制普通科
- 校章
- 校訓
- 変わらぬ色の三つ柏
- 若き生命 高き志操
- ペンの象る 英知をもちて
- 制服
- 男子は詰襟の学生服、女子はブレザーが指定されている
- 学年毎にスリッパとバッジの色を分けている。色は青(白)、赤(金)、緑(緑)の3色で、3年間同じ色のスリッパとバッジを使用する[1]。
授業・学校行事
50分授業が行われており、授業時間確保のために1日7時限授業が週3回行う。2学期制を採用している。ほぼ毎月、中間考査、期末考査、実力考査などの考査(テスト)が行われる。アメリカの姉妹校とホームステイや相互訪問を通じた国際交流が行う。9月には北高祭と呼ばれる学校祭が行われ、文化祭と体育祭が催される。第2学年は修学旅行の際、沖縄本島(沖縄県)・伊江島(沖縄県)を訪問し第1学年は高山遠足、第3学年は京都遠足をいずれも前期に行う。
沿革
岐阜市立女子高等学校
- 1905年(明治38年) - 長良尋常高等小学校に長良農業商業補習学校女子部が設置される。
- 1914年(大正3年) - 長良農業商業裁縫補習学校に改称される。
- 1930年(昭和5年) - 長良実科女学校と改称される(この学校ではこの年をもって創立としている)。
- 1940年(昭和15年) - 高等女学校に昇格のため岐阜市立長良実科高等女学校となる。
- 1942年(昭和17年) - 岐阜市立高等女学校に改称される。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により岐阜市立女子高等学校となる。
岐阜市立農業高等学校
- 1946年(昭和21年) - 岐阜市立農業学校が開校する。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により岐阜市立農業高等学校となる。
岐阜市立高等学校
- 1941年(昭和16年) - 岐阜市立中学校が創立される。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により岐阜市立高等学校となる。
- 1948年(昭和23年)9月 - 学校再配置により岐阜市立女子高校・岐阜市立高校・岐阜市立農業高校が統合され「岐阜市立高等学校」となる。
- 1950年(昭和25年) - 校章が制定される。
- 1951年(昭和26年) - 校歌が制定される、農業科が岐阜農林高校に移管される。
岐阜県立岐阜北高等学校
学区
岐阜県では、平成30年(2018年)度の県立高校入試から学区を廃止[2]したため、県内全域から進学が可能である。
姉妹校
部活動
約9割の生徒が部活動に加入し、運動系ではインターハイ出場経験もあるハンドボール部やバドミントン部などがある。演劇部は、全国高等学校演劇大会第15回大会で最優秀賞を獲得している。
運動系部活動
- 野球部
- 陸上競技部
- 水泳部
- 卓球部
- ソフトテニス部
- テニス部
- バドミントン部
- ハンドボール部
- バレーボール部
- サッカー部
- バスケットボール部
- 柔道部(2023年度より募集停止)
- 剣道部
文化系部活動
- 演劇部
- 吹奏楽部
- コーラス部
- 美術部
- 囲碁将棋部
- 放送部
- 書道部
- 自然科学部
- マルチメディア部
- 茶道部
- ESS部
進路状況
[3]
主な併願私立高校
[4]
アクセス
JR岐阜駅や名鉄岐阜駅から岐阜バスC70/C71/C72(快速便)で、「北高前」停留所下車。
出身者
脚注
関連項目
外部リンク