山田 真二(やまだ しんじ、本名:山田 常高(やまだ つねたか)、1937年3月25日 - 2007年10月15日)は、日本の俳優、歌手。東京市小石川区向ヶ丘弥生町(東京都文京区弥生)出身[1]。東洋音楽学校中退。
父は舞踏家の山田五郎[2]、姉も舞踏家の山田奈々子[2]。妻は大映の女優の藤田佳子だったが、のち離婚[3]。
来歴
1954年松竹に入社し、同年公開された映画『黒い罌粟』で俳優デビュー[1]。翌年東宝に移り[1][注釈 1]、エキゾチックな甘いマスクの二枚目俳優として人気を集め、中川信夫監督の『夏目漱石の三四郎』、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘と共演した『ジャンケン娘』などに出演。また、共演した雪村いづみの勧めで1956年に発売した『哀愁の街に霧が降る』で歌手としても大ヒットを飛ばし、1959年の第10回NHK紅白歌合戦に出場した。
のち芸能界を引退し、六本木で「好きな歌を歌える店」を経営していた[4]。
2007年10月15日、間質性肺炎のため東京都文京区の病院で死去。70歳。
2008年3月28日、雪村いづみらが発起人になって偲ぶ会が行われ、梅宮辰夫や『哀愁の街に霧が降る』をカバーした山川豊らが出席した。
出演作品
映画
テレビドラマ
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 |
曲目 |
対戦相手
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1959年(昭和34年)/第10回
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娘が口笛吹く時は
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島崎雪子
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関連人物
- 吉田正:(『哀愁の街に霧が降る』の作曲者)
- 山田奈々子:(ダンサー。実姉)
- 椎名誠:自伝小説『哀愁の町に霧が降るのだ』の作者
- 平尾昌晃:平尾をオートレース好きにさせたきっかけを作ったのが当人。
脚注
注釈
- ^ 姉の奈々子によれば、東宝の準所属であった父から東宝の方が真二にあっていると勧められたからであったという[2]。
出典
- ^ a b c 山田真二 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」コトバンク 2018年7月9日閲覧。
- ^ a b c 「インタビュー 舞踏家 山田奈々子(聞き手・友井健人)」『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日、pp.42-43頁。ISBN 978-4-86248-761-2。
- ^ 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』P.261-262
- ^ 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』P.262
外部リンク