山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日[1] - 2012年〈平成24年〉10月13日[2])は、日本の俳優・声優。
北海道瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)出身[1]。北海道深川西高等学校卒業[3]。
来歴
高等学校時代に演劇部で活動し、1951年、卒業後に会社員となるも、演劇への夢を捨てきれず、1952年上京。舞台芸術学院本科に入る。卒業後、劇団四季・劇団中芸に所属。
1958年には『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演。猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、これが生涯の当たり役となり、後の劇場版にも同役で出演した。テレビドラマや映画の脇役で活動し、1974年の『激突! 殺人拳』では千葉真一が扮する主人公の相棒である中国人を演じている。
1990年には一人芝居の劇団「吾一座」を旗揚げし、舞台『軽き者の儀・赤穂第四十七士』を上演した。
5歳年下の落語家古今亭志ん朝は親友であった。山田と志ん朝は顔がよく似ていたことで知られ、志ん朝は山田から許可をもらって『山田吾一』という噺を作り、高座で枕や漫談として時折用いていた(志ん朝が記憶に無い人から散々歓迎や激励を受けた挙句、最後の最後になって自分が山田と間違えられていたことが判る、というオチ)。志ん朝が生前、最後に高座で掛けたのもこれであった。
2012年10月13日、心不全のため79歳で死去[2]。戒名は放光院禅月悟道居士。俳優として人々に光を当て続けたが、本人は若いときから苦労してきたので仏様が報いるようにという意味である。
人物
長女はNHKアナウンサーの山田亜樹。
出演
テレビドラマ
映画
- 事件記者 (1959年、日活) - 岩見記者
- 事件記者・真昼の恐怖 (1959年、日活)
- 事件記者・仮面の脅迫 (1959年、日活)
- 事件記者・姿無き狙撃者 (1959年、日活)
- 事件記者・影なき男 (1959年、日活)
- 事件記者・深夜の目撃者 (1959年、日活)
- 事件記者・時限爆弾 (1960年、日活)
- 事件記者・狙われた十代 (1960年、日活)
- 事件記者・拳銃貸します (1962年、日活)
- 事件記者・影なき侵入者 (1962年、日活)
- 新事件記者・大都会の罠
- 新事件記者・殺意の丘
- 男と男の生きる街 (1962年、日活)
- 夢がいっぱい暴れん坊 (1962年、日活)
- サラリーマン物語 新入社員第一課(1962年、日活)- 塩原太助
- サラリーマン物語 敵は幾万ありとても(1962年、日活)- 大前田英介
- しろばんば (1962年、日活) -中川訓導
- 青年の椅子 (1962年[日活)
- 若旦那日本晴れ 1963年、日活)
- 雨の中に消えて(1963年、日活) - 渡部先生
- サラリーマン物語 大器晩成 (1963年、日活)
- 東京五輪音頭 (1964年、日活) - 阿部弘
- 河内ぞろ 喧嘩軍鶏 (1964年、日活)
- 若親分出獄 (1965年、大映)
- 空いっぱいの涙(1966年、松竹)
- 河内遊侠伝 (1967年、東映) - 蹴爪の藤次郎
- 喜劇 駅前学園 (1967年、東宝)
- 女賭博師 (1967年、大映)
- 天狗党 (1969年、大映)
- 激突! 殺人拳 (1974年、東映) - ラクダの張
- 仁義なき戦い 完結篇 (1974年、東映)
- あゝ決戦航空隊 (1974年、東映)
- 吉四六よ天を駆けろ (1976年、吉四六プロダクション)
- 西陣心中 (1977年、ATG)
- 女教師(1977年、日活)
- トラック野郎・熱風5000キロ (1979年、東映)
- マタギ (1982年、青銅プロダクション)
- 玄海つれづれ節 (1986年、東映)
- せんせい (1989年、松竹)
- もうひとつの原宿物語 (1990年、ハローマイク)
- 山田ババアに花束を (1990年、東宝)
- 爆! BAKU (1992年、日本ビクター)
- 平成金融道 裁き人 (1999年、東映ビデオ)
- エクレール・お菓子放浪記 (2011年5月21日)
オリジナルビデオ
舞台
吹き替え
プロモーションビデオ
バラエティ
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脚注
関連項目
外部リンク