山添利作

山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 1979年7月7日)は、日本農林官僚農林事務次官を務め、退官後は農林漁業金融公庫総裁や日銀政策委員などを歴任した。長女・祥子の夫は参議院議員衆議院議員を務めた藤井裕久

人物

京都府与謝郡岩滝町(現与謝野町)で父・山添小三郎、母・たかの次男として生まれる。1920年京都府立宮津中学校を卒業し、第一高等学校仏法学科へ入学。1923年、一高を卒業し、東京帝国大学へ進学。在学中に高等試験行政科を合格し、1926年農林省へ入省した[1]。戦前から戦後に至るまで、蚕糸局での勤務が長く蚕糸行政には最も長く関与している。また戦後の農地改革では、その立案と実施に行政の責任者として取り組んだ[2]

略歴

脚注

参考文献

  • 日本農業研究所編『山添利作論藻と弓村句集』日本農業研究所、1982年。