山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日[2] - 2005年6月24日)は、日本の東洋史学者。専門は明代史および中国近現代史。
経歴
兵庫県神崎郡越知谷村(現・神河町)に生まれる。1941年4月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。同期の神田信夫(専門は清代史)とは後に共著を出版。1942年10月から1945年9月まで肺結核のため休学する。1947年9月に東京帝国大学卒業。同年10月、東京大学大学院特別研究生(文部省給費)に採用される。
1952年4月東洋大学文学部講師、1953年同助教授。1954年4月から4年間、公益財団法人 東洋文庫研究員をつとめ、1958年東京女子大学文学部助教授、東洋文庫兼任研究員となる。1961年同大学文理学部[5]教授となり、1990年3月同定年退職。退職と同時に東京女子大学名誉教授。
この間、1967年秋より東洋文庫を拠点に明代史研究会を開始、1974年より『明代史研究』を独力・手書きでほぼ年刊で刊行。東洋史を中心とした日中学術交流にも尽力する。母校の東京大学、早稲田大学、明治大学など多くの大学で教鞭をとった。
2005年6月24日、慢性膿胸症のため死去[2]。
主な著書
単著
その他多くの文献資料目録を編纂
中国研究
共編著
東大東洋史同期生
脚注・出典
- ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.637
- ^ 1961年文学部を改組し文理学部を設置
- ^ 柳田節子(学習院大学教授) (1984年8月). “書評 神田信夫・山根幸夫編『戦中戦後に青春を生きて - 東大東洋史同期生の記録』”. 『中国研究月報』中国・アジア研究論文データベース. 2024年11月24日閲覧。
参考文献