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山本 穰(やまもと じょう、1958年3月6日 - 2000年4月21日)は、三重県度会郡南勢町出身のプロ野球選手(捕手)。
宇治山田商高では捕手、四番打者として活躍。1975年秋季中部大会県予選準決勝に進むが、海星高の米沢馨(クラウンライター)に完封を喫する。1976年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、三重高に敗れ甲子園には届かなかった。同年のドラフト6位で広島東洋カープに入団。1982年オフに南海ホークスに移籍。一軍出場のないまま1984年に現役引退。
引退後は南海・ダイエーのブルペン捕手、スコアラーなどを歴任。工藤公康が、ブルペン捕手時代の山本について、「ピッチャーを乗せるのがうまく、山本さんに(投球を)受けてもらっていたら、どんなピッチャーでもうまくなりますよ」と語っていた(講談社現代新書「プロ野球の一流たち」より)。
2000年4月21日、内因性疾患のため逝去。満42歳没。
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