山崎 春美 (やまざき はるみ、1958年 9月2日 - )は、日本 のロック ミュージシャン 、編集者 、ライター 。自販機本 『Jam 』編集者。雑誌『HEAVEN 』3代目編集長 。日本大学芸術学部 文芸学科 中退[ 1] 。
ステージ上で自傷 する「自殺未遂ギグ 」や日比谷野外音楽堂 のアンダーグラウンド イベント「天国注射の昼 」などを主催、前衛的なロックバンド 「ガセネタ 」「TACO 」中心メンバーとして活動した。
来歴
1976年 、大阪の高校生だった山崎春美は、阿木譲 の『ロック・マガジン』に執筆する。
1977年 、上京。大里俊晴 や連続射殺魔 の浜野純 らと、園田佐登志 が主宰する明治大学 の現代音楽ゼミで知り合い、自称「ハードロック 」バンド「ガセネタ 」を結成する。吉祥寺マイナー などで活動し、灰野敬二 、白石民夫、工藤冬里 、当時は音楽活動をせず役者を目指していたECD をはじめ、また、東京ロッカーズ のバンドたちなど多くのアンダーグラウンド なミュージシャン と交流を持つ。
1978年 、日本大学芸術学部 文芸学科 入学[ 2] 。高杉弾 (佐内順一郎)や隅田川乱一(美沢真之助)と日芸で知り合い、1979年 より自販機本 『Jam 』(エルシー企画 )の編集に参加。また松岡正剛 の『遊塾』(日遊塾)にも入り、『遊』増刊号を編集。
同年、山崎がリスペクトしていた阿部薫 が死去。ちなみに山崎は阿部の妻である鈴木いづみ とも交流があり、山崎をモデルにした『ラブ・オブ・スピード』という小説も書かれている。
1979年 3月30日、ガセネタ は解散。同年、行方不明になっていた蛭子能収 を再発見[ 1] 。その後「天才漫画家」という触れ込みで『Jam 』で再デビューさせる[ 1] 。
1980年 、自販機本 『Jam 』の後継誌であるニュー・ウェイヴ 雑誌『HEAVEN 』(アリス出版 /群雄社 )の創刊に参加。高杉弾 、近藤十四郎に続いて山崎が3代目編集長となる。野々村文宏 を副編集長兼ライター とし、また『遊』の工作舎 で知り合った、まだ医大生の香山リカ をライター デビューさせ、彼女のペンネーム の名付け親となる。さらに祖父江慎 、細川周平 、美沢真之助なども参加した。
同年、ロック バンド 「TACO 」を結成。吉祥寺マイナーのイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」にて、山崎を中心にイベントの主宰者であった白石民夫、そして大里俊晴 、後飯塚僚、平野勝、田中トシが集い、美沢真之助、山本土壺らが介入、さらにロリータ順子(篠崎順子)が加わり、後に1st.アルバムに参加するミュージシャン 達を巻きこんでいくなど、TACOは音楽的・出版的人間関係から集まった不定形の即興音楽 集団だった。
同年、前述のライブのオムニバス・アルバム 『愛欲人民十時劇場』がピナコテカレコード よりリリース。ちなみに特典付録はアルミ箔 に包んだ人糞 だった。なおこのアルバムはTACO名義でなく「山崎春美グループ」の名義で発表されている。
さらに、灰野敬二 に続くピナコテカレコード第2弾としてTACOの1st.アルバムをリリースする予定だったが中止となる。この幻の「タコ/1st」は、2012年 発売の『タコBOX 甘ちゃん』に収録された。
1981年 、雑誌『HEAVEN 』の廃刊を受け、明石賢生 社長の招聘で群雄社出版 に入社するが一か月で退社[ 3] [ 4] 。
この頃より不定期で雑誌『HEAVEN 』主宰のイベント「天国注射の昼 」を日比谷野外音楽堂 で開催。TACO、じゃがたら 、町田町蔵 、巻上公一 、THE FOOLS 、GAUZE 、突然段ボール 、コクシネル など当時のアンダーグラウンドシーンで活躍するバンドが多数出演した。
1982年 9月1日 、「自殺未遂ギグ 」と称し、ステージで手首を出刃包丁 で切り、救急車 で運ばれる[ 3] 。ちなみに会場でのドクターストップ 役は、のちに精神科医 となる香山リカ が務めた[ 3] 。
1983年 、坂本龍一 、遠藤ミチロウ 、町田町蔵 、工藤冬里 、上野耕路 、宮沢正一、NON、川島バナナ など多彩なミュージシャンと山崎の歌詞とのコラボレーションによる1st.アルバム『タコ 』 を発表。ピナコテカレコードからのリリースで、ジャケットは花輪和一 と合田佐和子 だった。『タコ』は自主制作盤 としては破格のヒットを記録するが、アルバムに収録された「きらら」という曲の歌詞に差別的な表現が使われていたため、団体からクレームがつき自主回収・発売禁止 となる。この影響でピナコテカレコードは年内解散に追い込まれた。
その後、山崎は「家業を継ぐ」と大阪に帰郷し、TACOも解散。雑誌内雑誌『HEAVEN 』は香山リカ、及びデザイナー陣が以降の編集を担当した。
1984年 、1983年11月法政大学 学館ホール、同志社大学 学館ホールでのライブを収録した2nd.アルバム『セカンド 』をリリース。このライブでのメンバーは山崎、大里俊晴 、佐藤薫 (EP-4 )、野々村文宏 の4人。またジャケットは霜田恵美子 だった。
同年、最後まで文章を書いていた『宝島 』からも撤退し絶筆 [ 3] 。
1986年 、町田町蔵 、元INU の北田昌宏と「至福団」を結成し、カセットブック『どてらいやつら』をリリース。山崎はこのカセットブックのブックレットの編集を担当した(ただし音源でも一曲だけ台詞を読んでいる)。
1987年 、この頃、すべての音楽活動から引退して表舞台から完全に姿を消す。同年7月1日、山崎の公私ともにパートナーであったロリータ順子が他界[ 3] 。
1993年 、結婚[ 3] 。同年にはPSFレコード より、ガセネタ の1978年 のライブおよびスタジオ・ライブが収録されたアルバム『SOONER OR LATER 』がリリース、これがガセネタの初音源となる。
1994年 、長男が誕生[ 3] 。同年、北村昌士 のSSE COMMUNICATIONS より、TACO の2枚のアルバムがカップリングでCD『タコ大全』としてリリースされたが、町田町蔵がゲストヴォーカルを務める曲「きらら」は差別用語 に自主規制音 が入り、また宮沢正一や遠藤ミチロウ が参加した「赤い旅団」に至っては同じく自主規制として一切の情報が記載されない等、内容の不備があり、作品自体も山崎の許可を得ずにプレスされた海賊盤 であった。
1996年 、太田出版 発行のサブカルチャー 雑誌『Quick Japan 』11号で「山崎春美という伝説─“自殺未遂ギグ”の本音」と題した特集が組まれる[ 3] 。
2011年 、TACOの2枚のアルバムがディスクユニオン よりリマスタリング された紙ジャケット CDとして再発。ライナーノーツ には、山崎を始め、香山リカ、佐藤薫、野々村文宏の文章が掲載されている。そして、山崎と佐藤薫の監修による10枚組CDボックスセット『ちらかしっぱなし-ガセネタ in the BOX』がリリースされた。
2012年 、初期TACOにてサウンド面で大きな役割を果たした白石民夫をフィーチャーした4枚組CDボックスセット『タコBOX Vol.1 甘ちゃん』をリリース。また、山崎はTACO名義でライブを行い、活動を再開。
同年、TACOのCDボックスセット発売を記念して雑誌『アックス 』(青林工藝舎 )89号で特集が組まれ、蛭子能収 と30年ぶりに再会する[ 5] 。
2013年 、これまで書き紡いだ原稿を自選した集大成の初著書『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013 』を河出書房新社 より上梓。
2015年 11月、後期TACOの音源を収録した4枚組CDボックスセット『タコBOX Vol.2 8ナンバー』をリリース。そして新宿ロフト にて「大里俊晴七回忌」として、遠藤ミチロウ 、乾純、佐藤薫 、工藤冬里 、久下恵生、向島ゆり子、後飯塚僚、野々村文宏 、香山リカ などかつてのメンバー・関係者が集ったライブ「SHINDACO~死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」を開催。ロリータ順子のパートは当時彼女と交遊があった戸川純 が歌った。
同じ年には36年ぶりにガセネタ再結成されるが、新録アルバム発売直前の2018年10月23日に山崎春美がTwitterを通じてメンバーや関係者に相談せず、ガセネタを独断で解散したと発表した。
ガセネタ
TACO
TACO (タコ)は、山崎春美を中心としたオルタナティヴ・ロック バンド の総称である。山崎春美・浜野純 ・大里俊晴 ・佐藤隆史 による最後のハードロック ・バンド「ガセネタ 」の解散(1979年 3月30日 )を受けて、なし崩し的に始まった。その実態は吉祥寺マイナー のイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」に集った山崎春美、白石民夫、大里俊晴 らの集団に高杉弾 編集の自販機雑誌 『HEAVEN 』の編集者 ・ライター である隅田川乱一(美沢真之助)、山本土壺(山本勝之)、ロリータ順子(篠崎順子)が加わり、町田町蔵 、工藤冬里 、坂本龍一 、佐藤薫 、遠藤ミチロウ 、細川周平 、上野耕路 、篠田昌已 、武邑光裕 、香山リカ 、川島バナナ などの多彩なミュージシャン をゲストに巻き込んでいった不定形の即興音楽集団だった。
1980年代 のニュー・ウェイヴ ・シーンで暗躍し、現在も無計画流動的に集散を繰り返しながら活動を継続中。
メンバー
※不定形のバンドのため、山崎以外はどこまでが正式メンバーなのかは不明。アルバムなどにクレジットされている参加ミュージシャンを列記する。
アルバム
1983年、ピナコテカレコード より自主制作盤 として発売された1stアルバム。ジャケット画は花輪和一 と合田佐和子 。
山崎春美(ex.ガセネタ )、大里俊晴 (ex.ガセネタ)、町田町蔵 (ex.INU )、遠藤ミチロウ (ザ・スターリン )、坂本龍一 (YMO )、佐藤薫 (EP-4 )、工藤冬里 (Maher Shalal Hash Baz )、篠田昌已 (じゃがたら )、山本土壺 (HEAVEN)、野々村文宏 (HEAVEN )、細川周平 、川島バナナ (EP-4)、上野耕路 (ゲルニカ )、杉山晋太郎 (ex.ザ・スターリン 、非常階段 )、宮沢正一(ザ・ラビッツ)、成田宗弘 (High Rise )、武邑光裕 、昭和天皇 [要出典 ] 、香山リカ 、栗沢いずみ、菅波ゆり子(PUNGO)、ロリータ順子(ex.だめなあたし)などが参加。収録曲のうち「宇宙人の春」のみはガセネタ からの音源である。
町田町蔵がゲストヴォーカルを務める「きらら」という曲の歌詞に問題があり、団体から抗議文が寄せられたことから自主回収・発売禁止 となる。2011年に公式CD化。
1983年11月の法政大学学館ホール、同志社大学学館ホールでのライブを収録。2011年に公式CD化。
山崎春美(Vo)、大里俊晴 (Gt)、佐藤薫 (Dr)、野々村文宏 (P)。
『タコ』『セカンド』の2in1CD。前述の通り山崎の許諾を得ていないため、海賊版 CDとして扱われる。
『タコBOX Vol.1 甘ちゃん』 (2012年)
1981年末までの初期タコにて、サウンド面で大きな役割を果たした白石民夫をフィーチャーし、4CDに収録。またピナコテカレコードから1982年にリリース予定だった幻の「タコ/1st」をdisc4に収録。全52頁の大判ブックレット付。
『タコBOX Vol.2 8ナンバー』 (2015年)
山崎春美と佐藤薫を中心とした、1982年末以降の後期タコを4CDに収録。『セカンド』のオリジナル音源、1983年8月の日比谷野音『天国注射の昼』の音源などを収録。
オムニバス参加
『Live at LOFT & SHELTER」 (1997年)
「42nd」(未発表ライブ音源)収録
「人質ファンク」(『タコ』収録曲)「のろい しばり」(『セカンド』収録曲)収録
映像
1982年9月1日に山崎春美がタコの伴奏者(篠田昌已 、細川周平 、菅波ゆり子)と精神科医 の香山リカ を従えて中野PLAN-B にて決行した自殺未遂イベントのインディーズ・ビデオ。非売品のため視聴不可能。
1983年8月21日、9月17日に日比谷野外音楽堂 で行われたイベントのオムニバス・ビデオ
その他
吉祥寺マイナー で行なわれたライブのオムニバス・アルバム。ピナコテカレコード発売。「山崎春美グループ」名義で1曲収録。
かげろうレコード/ゼロ・レコードのオムニバス・アルバム。「山崎春美 with Fragment」名義で「歌に身を切られる」収録。
「町田町蔵FROM至福団」名義のカセットブック。雑誌『宝島 』のJICC出版局 発売。山崎は冊子の編集を担当。なお、1991年にCD化されているが、冊子は付いていない。
明治大学 で1978年に行われたガセネタ のライブ、スタジオライブを収録。現在廃盤。
『Early Works1977-1978(Memories of Yasushi Ozawa)/園田佐登志』 (2009年)
元不失者の小沢靖の追悼CD。ガセネタ+園田佐登志によるアナルキスの音源を3曲収録。
『タカラネタンチョトタカイネ/大里俊晴』 (2011年)
5枚組BOXの1~3枚目に、1970年代後半の吉祥寺マイナー時代、1980年代のタコ時代の音源を収録。
著書
『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013』河出書房新社 (2013年)
かつて雑誌などに発表した過去原稿を自選して年代順に並べたものが中心。書き下ろし 解題3万字と自筆年譜付。装丁デザインは羽良多平吉 。
連載
評価
渡辺みおは「80年代前半に不定形バンド、TACOを率い、『天国注射の昼』『自殺未遂ライブ』などで日本の初期オルタナティブミュージック・シーンに伝説を残した」と評している[ 7] 。
脚注
出典
参考文献
『ガセネタの荒野』大里俊晴 (洋泉社 1992年)※2011年に月曜社 より復刊。
『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013』(河出書房新社 2013年)
外部リンク