小鷹 卓也基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
埼玉県比企郡鳩山村(現:鳩山町) |
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生年月日 |
(1955-05-25) 1955年5月25日(69歳) |
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身長 体重 |
181 cm 78 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1973年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1978年8月10日 |
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最終出場 |
同上 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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小鷹 卓也(おだか たくや、1955年5月25日 - )は、埼玉県比企郡鳩山村(現:鳩山町)[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
飯能高校では、エースとして1972年秋季関東大会県予選決勝に進出するが、大宮高に惜敗。翌1973年春季関東大会県予選でも準決勝に進み、熊谷商の鎗田英男(法大-日本石油)と投げ合うが延長13回敗退。この大会では1回戦で所沢商からノーヒットノーランを達成。同年夏の甲子園県予選でも準決勝で川越工に敗れる。この大会でも3回戦で蕨高を相手に2度目のノーヒットノーランを達成している。
1973年のドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受け、卒業後に入団[1]。1978年に一軍初登板、しかし1軍で登板したのはこの1試合のみでその後は結果を残せず1981年限りで引退した[1]。
左オーバースローの本格派で大きな縦のカーブを武器とした。プロ入り後は球威不足が目立ち、左腕特有の右打者のヒザ元に食い込む球のキレもなかった。また制球難で自滅するケースも多かった。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1978年8月10日、対南海ホークス後期5回戦(川崎球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回2失点
- 初奪三振:同上、9回表に河埜敬幸から
背番号
- 21 (1974年 - 1978年)
- 36 (1979年 - 1981年)
関連項目
脚注
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、130ページ
外部リンク