小川 団吉(おがわ だんきち、1894年(明治27年)7月2日 - 1945年(昭和20年)9月27日)は、大日本帝国陸軍軍人。
経歴
1894年(明治27年)に島根県で生まれた。旧制浜田中学校[2]、陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第37期卒業。1937年(昭和12年)より欧州・東南アジアに軍事視察のため出張[2]。1938年(昭和13年)、陸軍航空大佐に進級と同時に飛行第58戦隊長に就任。1940年(昭和15年)に留守近衛師団参謀長、1942年(昭和17年)4月に浜松陸軍飛行学校教官を歴任し、同年8月に陸軍少将に進級。
1943年(昭和18年)に第5飛行団長に転じ、太平洋戦争に出動。1944年(昭和19年)2月7日に陸軍燃料廠附[4]、3月11日に陸軍燃料本部総務部長を経て、1945年(昭和20年)に陸軍燃料第2工廠長兼関東軍総司令部附に就任。同年9月27日に中国で戦病死[2]。
脚注
参考文献