寒川駅
寒川駅(さむかわえき)は、神奈川県高座郡寒川町岡田一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)相模線の駅である。 歴史
駅構造島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。橋上駅舎は1985年に完成したもので、建設費1億5300万円のうち寒川町が5800万円、寒川神社が3000万円を、残りを国鉄が負担して建設された[1]。1984年3月まで、当駅から西寒川駅を経て四之宮駅(1944年廃止)までを結ぶ寒川支線(通称:西寒川支線、相模鉄道時代:四之宮支線)が分岐していた。また、かつては構内に多くの側線があり、当駅から茅ケ崎・西寒川間の区間列車の留置に使用されていたが、寒川支線の廃止に伴いほとんどが撤去されている。 茅ケ崎駅管理の業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)[10][11]で、みどりの窓口・自動券売機・多機能券売機[4]・自動改札機・自動精算機が設置されている。また、お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝および夜間の一部時間帯は遠隔対応のため改札係員は不在となる[4]。なお、出入口と改札外コンコースを結ぶエスカレーターとエレベーターは南口と北口に設置されている。 のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
利用状況2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は6,447人で、相模線の乗り換え路線のない駅では最も多く、途中駅では海老名駅についで2番目に多い。 1995年度(平成7年度)以降の1日平均乗車人員は下表の通りである。
駅周辺北口北口周辺は住宅と商店が多くあり、駅北西の寒川町役場周辺には公共施設が集中している。駅前はかつては住宅や商店がひしめき合い、駅前広場もなく、町の玄関口としての機能を十分に有していなかったが、土地区画整理事業[14]が1992年に開始され、2010年前後に駅前広場(バスロータリー)や広場へのアクセス道路、公園などが整備された。 南口南口周辺の一之宮地区は中世において鎌倉幕府の有力御家人であり、源頼朝の最側近として活躍した梶原景時が広大な館(一宮館、一之宮城)を構えていた。また、近世の江戸時代には「町屋村」とも呼ばれ、中原街道と大山街道(田村通り)が交差する交通の要所として発展した[15]。数ある大山街道の内、東海道から分岐し、大山と江の島を直接結ぶ田村通りが最も人出が多く、一之宮はその宿場町として繁栄した。 駅南西の相模川沿岸に大型工業団地があるが、第2次世界大戦中は相模海軍工廠が置かれていた。
バス路線北口(「寒川駅」停留所)は駅前広場(バスロータリー)から海老名駅行きのバス(神奈川中央交通、相鉄バス)と寒川町コミュニティバスが発着する。 南口は駅前からやや離れた場所に暫定的なバス回転所(「寒川駅南口」停留所)が設置され、茅ケ崎駅行きのバスが発着する。
その他
隣の駅かつて存在した路線
脚注記事本文
利用状況
関連項目外部リンク
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