富士通陸上競技部(ふじつうりくじょうきょうぎぶ)は、1990年に創設された富士通の陸上競技部。トラック&フィールド競技からマラソン、駅伝、競歩に至るまで種目は多岐に渡る[1]。
概要
1990年に全国各地の事業所にあった陸上競技部を統合して創部され[1]、川崎工場(現Fujitsu Technology Park)内に発足した(会社指定の強化運動部)[2]。監督には木内敏夫が就任した[3]。創部当時、練習は等々力陸上競技場や多摩川河川敷等、合宿は千葉県などで行っていた[2]。その後、1997年に練習環境の充実のため千葉県千葉市に拠点を移した[2](活動拠点は千葉市美浜区の幕張システムラボラトリ[4][5])。なお、Fujitsu Sportsの運動部集約のため、2026年4月に活動拠点を神奈川県川崎市に再移転することが決まっている[2]。
2008年にJOCスポーツ賞 トップアスリートサポート賞・優秀団体賞を受賞している[6]。
オリンピックでは、1992年バルセロナ大会に3選手が出場した後、2024年パリ大会まで9大会連続して日本代表選手を輩出している[1]。このうち北京大会では男子4×100mリレーにて高平慎士と塚原直貴の2選手が銅メダル獲得(2018年12月に銀メダルに繰り上げ)[3]。また、ロンドン大会には当時の所属から8名が選ばれた[3]。
また、パラリンピックでは、2020年東京パラリンピックにチーム初の日本代表選手を輩出した[1]。
国内でも全日本実業団対抗陸上競技選手権大会団体の部6連覇(2007-2012年)を達成[4]。元日の全日本実業団対抗駅伝競走大会(通称ニューイヤー駅伝)では創部翌年の1991年に初出場以来2019年まで出場を続け、2000年と2009年の2度優勝を果たしている[4]。2020年は東日本予選会で17位と惨敗し創部以来初めて本戦出場を逃した[7]が、翌2021年には3度目の優勝に返り咲いた。ところがこの時授与された優勝旗を、社が紛失するという失態を演じている。
所属選手・スタッフ
- 総監督兼マラソン担当
- 監督
- 部長
- 後援会長
- 事務局長
- 長距離ブロック長
- 長距離ブロックコーチ
- 競歩ブロック長
- 競歩ブロックコーチ
- 一般種目ブロック長
- 一般種目ブロック長補佐
- 事務局
- 顧問
- アドバイザー
男子
- 短距離
- 跳躍
- 競歩
- 長距離
女子
過去の主な選手
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)成績
走者 は区間賞。
脚注
関連項目
外部リンク
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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