宮本 勝昌 Katsumasa MIYAMOTO |
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基本情報 |
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名前 |
宮本 勝昌 |
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生年月日 |
(1972-08-28) 1972年8月28日(52歳) |
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身長 |
174 cm (5 ft 9 in) |
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体重 |
76 kg (168 lb) |
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出身地 |
静岡県熱海市 |
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経歴 |
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プロ転向 |
1995年 |
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成績 |
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優勝回数 |
日本ツアー:12勝(公式戦:5回) |
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初優勝 |
つるやオープン(1998年) |
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賞金ランク最高位 |
日本ツアー:4位(1998年) |
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2014年12月8日現在 |
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宮本 勝昌(みやもと かつまさ、1972年8月28日 - )は、静岡県熱海市出身のプロゴルファーである。
経歴・人物
中学1年からゴルフを始め、中学3年生の時に日本ジュニアゴルフ選手権で3位に入る。ゴルフの名門校である茨城県の水城高等学校に進学し、全国高校選手権で団体2連覇。日本大学のゴルフ部では片山晋呉、横尾要と同期でライバルだった。
1991年、大学1年生の時に日本アマチュアゴルフ選手権で、同じ日本大学の先輩丸山茂樹を破って優勝した。
1995年のプロゴルファーテストで、宮本と片山、横尾は3人揃って合格し、プロ転向後も身近なライバルとなった。1998年につるやオープンゴルフトーナメントでツアー初優勝を挙げ、年間最終戦のゴルフ日本シリーズでも優勝する。このビッグ・タイトルを手に入れた宮本は、同年末のアメリカPGAツアーの「クオリファイイング・スクール」に合格し、1999年度はアメリカツアーに戦場を移したが、米国ツアーのシード権維持に必要な賞金額(賞金ランキング125位以内)を確保できずに1年で日本へ帰国した。
2001年に日本ゴルフツアー選手権優勝で、日本ツアーの5年シード権を獲得する。同年のゴルフ日本シリーズで3年ぶり2度目の優勝を飾った。2003年のNST新潟オープンでツアー5勝目を挙げて以後は勝利から遠ざかっていたが、2007年にKBCオーガスタゴルフトーナメントで4年ぶりの通算6勝目を飾る。
ちなみに、2007年のマンシングウェアオープン KSBカップは、石川遼が初優勝した大会だが、石川はアマチュアのために賞金を受け取れず、繰り下がって2位の宮本が優勝賞金2000万円を受け取ることになった。しかし、宮本は「金額じゃない。やっぱり、勝つことが大事なんです」と悔しがった[1]。
2008年から日本ゴルフツアー機構の選手会会長を務め、国内ツアー開幕戦の東建ホームメイトカップで逆転優勝を飾り、ツアー通算7勝目を挙げた。
2019年中日クラウンズで2年ぶりのツアー優勝をあげた。
2023年11月27日鹿児島県いぶすきGC(7052ヤード、パー72)シニアツアー最終戦の最終ラウンドが行われ、69で回り通算9アンダーの207で優勝し、シニアツアー通算3勝目を挙げ唯一獲得賞金を5000万円台まで積み上げ、シニアツアー賞金王に輝いた
優勝歴
日本ツアー (12)
プレーオフ記録 (2-3)
その他
失格歴など
- 過去3回、スコアの過少申告により失格となっている。また失格とはならなかったものの、2017年の『ダンロップフェニックストーナメント』3日目ではスタート時刻に数分遅れ、さらにスタート後にクラブを1本超過したことが発覚し4罰打を科された[7]。
脚注
関連項目
外部リンク
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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