実吉 純郎(實吉、さねよし すみお、1879年(明治12年)6月9日[1] - 1948年(昭和23年)11月8日[1][2])は、明治から昭和期の医学者、政治家、華族。貴族院子爵議員、医学博士[2]。
経歴
海軍軍医・実吉安純の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1932年(昭和7年)4月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
1907年(明治40年)[注 1]7月、東京帝国大学医科大学を卒業[3][5]。1910年(明治43年)ドイツ帝国に留学した[2][3]。
1907年(明治40年)東京帝国大学医科大学副手となる[2]。以後、同助手、私立高輪病院長、東京慈恵会医科大学教授、同会医院次長、同内科部長、鉄道嘱託医、医薬制度調査会委員などを務めた[2][3]。
1933年(昭和8年)6月24日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。
1948年(昭和23年)に死去。長男の純一が後を継いだ[8]。
栄典
親族
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁では明治39年(1906年)。
出典
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』686-687頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』サ137頁。
- ^ 『官報』第1587号、昭和7年4月16日。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治40-41年』東京帝国大学、1907年、学士及卒業生姓名153頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
- ^ 『官報』第1944号、昭和8年6月26日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、604頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第5159号「叙任及辞令」1900年9月11日。
- ^ 稲垣徹之進田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブ
- ^ 『毎日年鑑別冊 職名別日本人名選』1937年、163頁。
- ^ 『現代華族譜要』維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929年、274頁。
- ^ 実吉純郎『人事興信録 第15版 上』1948年、サ38頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
|
先代 実吉安純
|
子爵 実吉(安純)家第2代 1932年 - 1947年
|
次代 華族制度廃止
|