定平郡(チョンピョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道の南部に位置する郡。
地理
北に咸州郡、西に耀徳郡、南に金野郡と隣接している。東は日本海(東朝鮮湾)に面する。
東南部の平野(定平平野)は咸興平野に連なるが、総じて山がちな地形である。北西側には狼林山脈が走っており、最高峰は白山(ペクサン/백산、1834m)である。ほかにノラン峰(노란봉、1734m)、剣山嶺(コムサンニョン/검산령、1131m)がある。
行政区画
1邑・2労働者区・42里を管轄する。
- 定平邑(チョンピョンウプ)
- 新上労働者区(シンサンノドンジャグ)
- 用興労働者区(ヨンフンノドンジャグ)
- 高陽里(コヤンニ)
- 館坪里(クァンピョンニ)
- 光興里(クァンフンニ)
- 旧邑里(クウムニ)
- 旧倉里(クチャンニ)
- 岐山里(キサンニ)
- 南昌里(ナムチャンニ)
- 内洞里(ネドンニ)
- 多湖里(タホリ)
- 独山里(トクサンニ)
- 東川里(トンチョンニ)
- 東下里(トンハリ)
- 東湖里(トンホリ)
- 栗城里(リュルソンニ)
- 文峯里(ムンボンニ)
- 文昌里(ムンチャンニ)
- 文興里(ムヌンニ)
- 復興里(ポクンニ)
- 鳳坮里(ポンデリ)
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- 富坪里(プピョンニ)
- 泗洙里(サスリ)
- 三島里(サムドリ)
- 西京里(ソギョンニ)
- 宣徳里(ソンドンニ)
- 新成里(シンソンニ)
- 新川里(シンチョンニ)
- 新坪里(シンピョンニ)
- 新豊里(シンプンニ)
- 長洞里(チャンドンニ)
- 長川里(チャンチョンニ)
- 長興里(チャンフンニ)
- 朝陽里(チョヤンニ)
- 仲坪里(チュンピョンニ)
- 倉新里(チャンシンニ)
- 草原里(チョウォンニ)
- 太陽里(テヤンニ)
- 豊陽里(プンヤンニ)
- 河南里(ハナムニ)
- 香洞里(ヒャンドンニ)
- 湖南里(ホナムニ)
- 湖中里(ホジュンニ)
- 禾洞里(ファドンニ)
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歴史
古くは高句麗、ついで女真の領域であった。女真と高麗との間で争奪が行われ、983年には高麗によって千丁万戸府が置かれている。1041年には城郭と関門が築かれて定州防禦使が置かれ、元興・宣徳とともに北方辺境防衛の要衝となり、女真との境界となる千里長城の一部を構成した。その後モンゴル帝国の支配下に入るが、1356年に恭愍王が高麗による支配を回復し、都護府を置いた。朝鮮王朝には咸鏡道に属するが、太宗は、平安道の定州と区別するためにこの地を定平と改称した。1895年に定平郡となった。
1952年時点の定平郡は、5面216里から構成されていた。
1952年12月に行われた北朝鮮の行政区画再編により新上郡を分割、定平郡定平面・朱伊面・高山面、広徳面の一部、咸州郡の一部を併せた新たな定平郡(1邑27里)を構成した。
1974年1月には新上郡を廃止し、再び定平郡に統合した。
年表
この節の出典[1]
- 983年 - 千丁万戸府が置かれた。
- 1041年 - 定州防禦使が置かれた。
- 1356年 - 定州都護府が置かれた。
- 太宗代 - 定州が定平に改称された。
- 1895年 - 咸興府定平郡となる(二十三府制)
- 1896年 - 咸鏡南道定平郡となる。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡南道定平郡に以下の面が成立。(9面)
- 府内面・朱伊面・広徳面・高山面・長原面・文山面・春柳面・帰林面・宣徳面
- 1939年 (9面)
- 1941年4月1日 - 宣徳面が咸州郡に編入。(8面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道定平郡定平面・朱伊面・高山面および広徳面の一部、咸州郡朱地面の一部地域をもって、定平郡を設置。定平郡に以下の邑・里が成立。(1邑28里)
- 定平邑・東峯里・多湖里・湖南里・独山里・上倉里・豊松里・松亭里・新徳里・雲峰里・新京里・王楽里・楸上里・甫中里・長川里・長興里・長洞里・文昌里・新川里・栗城里・香洞里・太陽里・旧邑里・鳳坮里・興峰里・高陽里・旧倉里・興上里・項水里
- 1953年 (1邑30里)
- 新京里の一部が分立し、浦項里が発足。
- 東峯里の一部が分立し、蘆洞里が発足。
- 雲峰里の一部が東峯里に編入。
- 多湖里の一部が独山里に編入。
- 1954年10月 (1邑23里)
- 興上里・項水里・新徳里・松亭里・浦項里・新京里・王楽里・雲峰里・東峯里・蘆洞里・興峰里・豊松里・上倉里・楸上里・甫中里が新設の興上郡に編入。
- 新上郡西京里・湖中里・南昌里・倉新里・宣徳里・東湖里・三島里および富坪里の一部を編入。
- 独山里の一部が太陽里に編入。
- 湖南里の一部が定平邑に編入。
- 1961年3月 - 新上郡三徳里が南昌里に編入。(1邑23里)
- 1974年1月 - 新上郡新上邑・文峯里・館坪里・用興里・仲坪里・泗洙里・草原里・豊陽里・岐山里・東川里・文興里・内洞里・新坪里・河南里・東下里・光興里・朝陽里・禾洞里・復興里・新成里・新豊里を編入。(1邑1労働者区43里)
- 1987年10月 - 用興里が用興労働者区に昇格。(1邑2労働者区42里)
新上郡
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道定平郡新上面・長原面・文山面・帰林面および広徳面の一部、咸州郡宣徳面、永興郡仁興面の一部地域をもって、新上郡を設置。新上郡に以下の邑・里が成立。(1邑27里)
- 新上邑・文峯里・三徳里・西京里・倉新里・湖中里・宣徳里・東湖里・三島里・館坪里・用興里・泗洙里・草原里・豊陽里・岐山里・東川里・文興里・内洞里・新坪里・河南里・東下里・光興里・朝陽里・禾洞里・復興里・新成里・富坪里・南昌里
- 1953年 (1邑28里)
- 用興里・泗洙里の各一部が合併し、仲坪里が発足。
- 仁興郡中東里の一部が新坪里に編入。
- 1954年10月 (1邑21里)
- 南昌里・宣徳里・西京里・東湖里・三島里・湖中里・倉新里および富坪里の一部が定平郡に編入。
- 文興里の一部が仁興郡旺場里に編入。
- 富坪里の残部および光興里・新成里の各一部が合併し、新豊里が発足。
- 1961年3月 - 三徳里が定平郡南昌里に編入。(1邑20里)
- 1974年1月 - 新上郡廃止。
- 新上邑・文峯里・館坪里・用興里・仲坪里・泗洙里・草原里・豊陽里・岐山里・東川里・文興里・内洞里・新坪里・河南里・東下里・光興里・朝陽里・禾洞里・復興里・新成里・新豊里が定平郡に編入。
交通
鉄道
空路
脚注
外部リンク