宇部興産オープンゴルフトーナメント

宇部興産オープンゴルフトーナメント
トーナメント情報
創設 1972
開催地 山口県山口市
開催コース 宇部72GC
主催 宇部興産株式会社
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 72ホールストローク
最終年 2001
最終優勝者
アメリカ合衆国の旗ディーン・ウィルソン
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宇部興産オープンゴルフトーナメント(うべこうさんオープンゴルフトーナメント)は、宇部興産(現:UBE)主催、日本ゴルフツアー機構公認で開催されていたゴルフトーナメント。

歴史

ツアー制定以前の1972年(昭和47年)にペプシトーナメントの名称で初めて開催された。第4回(1975年、昭和50年)にペプシウイルソントーナメントの名称に変更[1]。第5回(1976年、昭和51年)にはピーター・トムソングラハム・マーシュによる14ホールに及ぶプレーオフが行われた[注 1]。第11回(1982年、昭和57年)にペプシ宇部トーナメントの名称に変更[1]。第14回(1985年、昭和60年)の大会は宇部興産の社長、会長を歴任した中安閑一が前年の1984年(昭和59年)に死去したため、「中安閑一メモリアル」として開催された。第18回(1989年、平成元年)にペプシ宇部興産トーナメントの名称に変更[1]。第26回(1997年、平成9年)の大会から宇部興産の単独主催となり、同時にアマチュア選手の出場も可能にしたため大会名を宇部興産オープンゴルフトーナメントの名称に変更[3][1]。2001年(平成13年)に終了。

開催地は主に宇部カントリークラブ[注 2]で開催されていた。宇部カントリークラブで初めて開催されたのは第5回(1976年、昭和51年)で、宇部興産が当時の大会スポンサーであったペプシコーラと提携関係にあったことから宇部興産側が誘致したことにより開催されるようになった[4]。 宇部カントリークラブ→宇部72カントリークラブ以外での開催は第1回(1972年、昭和47年)と第2・4・6回は横浜カントリークラブ、第3回(1974年、昭和49年)は片山津ゴルフ倶楽部、第8回は八戸カントリークラブで行われた。2001年実績総額1億4000万円、優勝賞金2800万円。

放送

テレビ中継は、大会初期にはフジテレビ制作でフジテレビ系列で放送された[4]。宇部カントリークラブで初めて開催された1976年の大会はTBS系列で放送され、TBSテレビ制作で地元系列局のテレビ山口が技術協力を行った[4]。この大会は14ホールのプレーオフがあった年で、TBSでは放送時間内に決着の瞬間を放送することができなかったが、地元のテレビ山口では引き続き放送していた。それでもプレーオフが続いたためテレビ山口でも途中で打ちきるを得なくなった[5]。1977年の大会はテレビ朝日制作でテレビ朝日系列での放送になった[6]。宇部の開催に戻った1978年の大会も引き続きテレビ朝日が制作を担当しているが、技術協力はテレビ山口が担当した[7][注 3]。大会末期はテレビ東京制作でTXN系列と開催地の地元局である山口放送日本テレビ系列)にネットされていた。

ペプシトーナメント時代には史上初のラジオの実況中継をニッポン放送で行ったことがある。

歴代優勝者

脚注

注釈

  1. ^ 宮本省三ブライアン・ジョーンズもプレーオフに進出したが、宮本は最初のホールで、ジョーンズは4ホール目にそれぞれ脱落した[2]
  2. ^ 第29回(2000年、平成12年)の大会より宇部72カントリークラブと改称。
  3. ^ テレビ山口はテレビ朝日とのネット関係を1978年10月に解消しているが、この大会の中継の技術協力は引き続きテレビ山口が担当していた[8]

出典

  1. ^ a b c d 宇部興産オープントーナメント(ペプシトーナメント)の歩み”. 宇部72カントリークラブ. 2023年10月9日閲覧。
  2. ^ “死闘! プレーオフ14ホール トムソンが優勝”. 朝日新聞: p. 19. (1975年5月25日) 
  3. ^ 百年史編纂委員会 編纂『宇部興産創業百年史』宇部興産、1998年、722頁。 
  4. ^ a b c テレビ山口社史編纂委員会 編『テレビ山口二十年史』テレビ山口、1992年、189頁。 
  5. ^ テレビ山口社史編纂委員会 編『テレビ山口二十年史』テレビ山口、1992年、191頁。 
  6. ^ 朝日新聞』1977年5月29日付朝刊テレビ欄。
  7. ^ テレビ山口社史編纂委員会 編『テレビ山口二十年史』テレビ山口、1992年、194頁。 
  8. ^ テレビ山口社史編纂委員会 編『テレビ山口二十年史』テレビ山口、1992年、236頁。 

外部リンク