奥村 半二(おくむら はんじ、1890年(明治23年)6月14日 - 1979年(昭和54年)6月20日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。
経歴
1890年(明治23年)に兵庫県で生まれた。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第35期卒業。1937年(昭和12年)8月2日に陸軍歩兵大佐に進級し、8月7日に船舶参謀に就任した。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍少将進級と同時に留守第5師団司令部附となり、6月10日に第41歩兵団長(北支那方面軍・第1軍・第41師団)に就任し、日中戦争に出動。臨汾に駐屯し、沁源作戦などに参加し、中原会戦では敵軍を捕捉殲滅し、渡河地点を確保するなど大なる戦果を収めた。
1942年(昭和17年)8月に独立混成第6旅団長(第12軍)に転じ、山東省南部の守備に就いた。1943年(昭和18年)6月には独立混成第6旅団と独立混成第4旅団を基に新規編制された歩兵第64旅団長(第64師団)に就任した。1944年(昭和19年)3月1日には海上機動第2旅団長に就任し、公主嶺で編成を完了した。3月14日に関東軍総司令部附となり、8月8日に留守第5師団司令部附を経て、1945年(昭和20年)1月15日に新潟陸軍輸送統制部長に就任し、3月1日に陸軍中将に進級した。同年4月10日に第1船舶輸送司令部北陸支部長に転じ[4]、5月7日に陸軍歩兵学校附となり、終戦後の9月7日に青森連隊区司令官に就任した[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
参考文献