奥 信夫(おく のぶお、1897年(明治30年)6月2日 - 1958年(昭和33年)12月24日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
福岡県出身。1919年(大正8年)5月に陸軍士官学校第31期卒業。同年12月に陸軍歩兵少尉に任官。1929年(昭和4年)陸軍大学校に入学し、1932年(昭和7年)同校第44期卒業。1939年(昭和14年)8月に第1独立守備隊参謀に就任した。
1941年(昭和16年)8月、陸軍歩兵大佐に進み、同年10月、留守第2師団参謀長を経て、大東亜戦争が勃発すると1943年(昭和18年)6月、第42師団参謀長となり出征する。同年9月、歩兵第35連隊長を経て、1945年(昭和20年)4月、独立混成第75旅団長に補され、同年6月、陸軍少将に進級。台湾の新竹南方にて展開し米軍の上陸に備える中、終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
参考文献