奥井 成一(おくい しげかず、1925年1月27日 - 2008年9月11日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
大阪府大阪市出身。
旧制大阪府立生野中学校卒業後、故郷の岡山で家業の鉄工所を継ぎながら、実業団野球チーム「オール玉野」で遊撃手をしていたところ、プロのスカウトの目にとまり、1948年、大阪タイガース(1961年より、阪神タイガース)に入団[1]。背番号24をつけ、主に二塁手として34試合に出場。打率2割8分6厘という成績を残したが、けがのため1年プレーしただけで引退した。
翌1949年からフロント入りし、マネージャーを務めた後、球団の業務部長、管理部長、資料部長など要職を歴任[1]。
1991年にタイガースを定年退職した後は、ベースボール・マガジン社の顧問を務めていた。
タイガースの「生き字引」と呼ばれるほどの博識家で、選手や担当記者にも慕われた。またタイガース退団後、草創期からの功労者松木謙治郎が著した「大阪タイガース球団史」(1985年、恒文社発行。ISBN 4-770-40634-7 )の加筆も担当し、1992年に『大阪タイガース球団史 1992年度版』ISBN 4-583-03029-0 としてベースボール・マガジン社から発行された。
2008年9月11日、肺癌のため死去[2]。83歳没 。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目
外部リンク