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1897年 - 1899年
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大靖政権(たいせいせいけん、繁体字中国語: 大靖政權)とは日本の台湾統治時代初期における台湾抗日運動において、黄国鎮(嘉義郡大埔庄出身)が1897年に台湾に樹立した軍事政権である。
概要
1897年1月から1898年11月25日まで、台湾の抗日勢力の一派だった黄国鎮が、嘉義東堡の山中に籠もって軍事政権を樹立した。そして自らを皇帝と称し、私年号である大靖(台湾の歴史において、2024年現在台湾独自で制定された最後の年号)を制定した[1]。その後、黄国鎮は台湾総督府に対し綏撫政策として、以下の3つの条件を突きつけた。
- 父親である黄响を大埔庄の長に就かせること。
- 毎月320円(当時の日本円のレート)を支給すること。40の軍事部があるので、1つの軍事部に付き毎月8円の支給がある。
- 大埔庄を防衛している日本軍を直ちに撤退させること[2]。
台湾総督府の事務嘱託だった白井新太郎が3つの条件を全て呑んだため、黄国鎮は政権を閉じ、1899年3月に嘉義東堡の山を下りた[3]。
脚注
関連項目