大里 昂生オリックス・バファローズ #64 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
岩手県滝沢市 |
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生年月日 |
(1999-07-07) 1999年7月7日(25歳) |
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身長 体重 |
178 cm 76 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
内野手 |
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プロ入り |
2021年 育成選手ドラフト3位 |
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初出場 |
2023年4月12日 |
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年俸 |
1600万円(2025年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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大里 昂生(おおさと こうせい、1999年7月7日 - )は、岩手県滝沢市出身[2]のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
経歴
プロ入り前
野球をやっていた父の影響で物心ついたころから硬球で遊び始め、小学校1年生の時に上級生に混じってリトルリーグの試合に出場するようになる[2]。中学では野球部と盛岡南シニアに所属し、投手や遊撃手を務めていた[2]。盛岡大学附属高等学校では1年生秋にベンチ入り。副主将となった3年時に春夏連続で甲子園に出場し、春の第89回選抜高等学校野球大会ベスト8、夏の第99回全国高等学校野球選手権大会ベスト8に貢献した[3]。また同年に開催の愛媛国体にも出場した。同学年のチームメイトには、比嘉賢伸、三浦瑞樹、植田拓らがいた。
恩師関口清治監督の母校である東北福祉大学に進学。2年時から仙台六大学リーグに出場し、全日本大学野球選手権大会や明治神宮大会に出場[2]。副主将となった4年春のリーグ戦では打率.355を記録し三塁手としてベストナインに輝いた[2][4]。大学では同学年の椋木蓮、三浦瑞樹、大竹風雅、1学年上の山野太一、元山飛優、2学年上の津森宥紀らとともにプレーした[5][6]。
2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議では、オリックス・バファローズから育成3位指名を受け[7]、11月6日に支度金は300万円、年俸は240万円で仮契約を結んだ[8]。背番号は022。担当スカウトは上村和裕[8]。
オリックス時代
2022年は、ウエスタン・リーグで73試合に出場し、打率.248、13打点を記録した[9]。7月以降は打率.400を記録するなど調子を上げていた[10]。
2023年は、開幕前の紅白戦で三塁の好守備を見せるなどアピールし[10]、オープン戦4試合に出場[11]。開幕後の二軍成績は11試合の出場で打率.176と低調だったが[12][11]、安達了一の負傷により二塁・遊撃も守れる大里に白羽の矢が立ち[12]、開幕直後の4月7日に支配下登録された[13]。背番号は64[13]。
2024年は、開幕一軍は逃すが7月2日に一軍に昇格し[14]、7月6日の北海道日本ハムファイターズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で、2番・二塁手としてプロ初先発出場を果たすと、初回に福島蓮から中前に打ち返しプロ初安打、5回には適時二塁打を放ち初打点を記録するなど、3打数2安打1四球1打点の活躍で初めてのお立ち台にも上がった[15]。その後は1番打者として先発出場が続き、8月6日の埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)では、渡邉勇太朗からプロ初本塁打を記録するなど起用に応えていたが[16]、8月22日の西武戦(ベルーナドーム)で走塁時に左膝を強打し打撲と診断され、翌23日に一軍登録を抹消された[17]。その後、9月6日に再び一軍に合流した[18]。
選手としての特徴
小技が得意な中距離ヒッター。もともとは左利きだが父の教えで右投げに変えた。俊足と巧打が売りで[4]、主に三塁手ではあるが複数の内野ポジションを守ることができる[19]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 |
三塁
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試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
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2023
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オリックス
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1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
1.000 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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通算
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1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
1.000 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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記録
- 初記録
背番号
- 022(2022年 - 2023年4月6日)
- 64(2023年4月7日 - )
脚注
関連項目
外部リンク