大坪 一馬(おおつぼ かずま、1895年(明治28年)7月3日 - 1969年(昭和44年)10月25日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1895年(明治28年)に佐賀県で生まれた。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第42期卒業。1938年(昭和13年)2月に中支那派遣軍作戦課長に就任し、日中戦争に出動。1939年(昭和14年)3月に野砲兵第37連隊長[注釈 1](第1軍・第37師団)に転じ、晋南作戦、郷寧作戦などに参加。同年8月1日に陸軍砲兵大佐に進級。1940年(昭和15年)8月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に転じ、1941年(昭和16年)11月に陸軍技術本部課長、1942年(昭和17年)9月に第23軍高級参謀を歴任した。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将に進級し、11月13日に陸軍重砲兵学校附となり、1944年(昭和19年)10月に陸軍重砲兵学校長に就任した。1945年(昭和20年)3月19日に陸軍重砲兵学校附となり[3]、3月23日に第3方面軍参謀長(関東軍)に就任し、終戦時は奉天に位置した。発令日は不明であるが第3方面軍参謀副長に転じ、8月16日に再度第3方面軍参謀長に就任している[4]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
注釈
出典
参考文献