大喜多 寅之助(おおきた とらのすけ、慶応2年11月20日[1](1866年12月26日) - 1961年(昭和36年)2月13日[2])は、名古屋市長。弁護士。
経歴
美濃国大垣出身[1]。1866年に父・次助と母・幸の第6子(五男)として生まれる[3]。大垣小学校、岐阜華陽学校大垣分校[4]、大学予備門、第一高等中学校を経て、1888年(明治21年)に東京帝国大学法科大学に入学した[1]。1892年(明治25年)に卒業した後は名古屋市で弁護士事務所を開業した[1]。弁護士業務のかたわら、愛知法律学校を創設して校長に就任し、また『金城新報』の編集監督も務めた[1]。1896年(明治29年)には名古屋弁護士会長に選出された[1]。
名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、1921年(大正10年)には名古屋市長に就任した[5]。
市長退任後は再び弁護士を開業し、名岐自動車道株式会社社長、東邦商業学校校長、日本放送協会東海支部監事[5]、中京法律学校校長などを務めた。
なお、1920年(大正9年)に事務所兼邸宅として建築された建物は、1952年(昭和27年)に愛知県の所有となり、2016年(平成28年)現在愛知県議員会館として利用されている[6]。
脚注
- ^ a b c d e f 『明治弁護士列伝』pp.49-50
- ^ 「大喜多寅之助氏」『読売新聞 全国版』1961年2月14日朝刊、11頁。
- ^ 中京法律学校編『大喜多寅之助先生遺稿集』中京法律学校、1968年、2頁。
- ^ 中京法律学校編『大喜多寅之助先生遺稿集』中京法律学校、1968年、4頁。
- ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
- ^ “愛知県議員会館”. 「なごや街なか」こだわり”ナビ”. 2016年5月18日閲覧。
参考文献
外部リンク
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1963年2月15日編入 |
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官選 |
区長 | |
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市長 |
- 中村修1889.12.17-1890.9.11
- 志水忠平1890.11.6-1894.2.12
- 柳本直太郎1894.2.28-1897.6.26
- 志水直1897.7.19-1901.12.2
- 青山朗1901.12.27-1906.4.12
- 加藤重三郎1906.6.27-1911.7.3
- 阪本釤之助1911.7.4-1917.1.23
- 佐藤孝三郎1917.7.3-1921.7.2
- 大喜多寅之助1921.7.2-1922.2.2
- 川崎卓吉1922.4.1-1924.6.11
- 田阪千助1924.9.25-1927.8.1
- 大岩勇夫1927.8.1-1938.12.5
- 縣忍1939.1.10-1942.1.6
- 佐藤正俊1942.2.21-1946.11.1
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公選 |
- 塚本三1947.2.21-1952.8.25
- 小林橘川1952.9.28-1961.3.16
- 杉戸清1961.4.28-1973.4.27
- 本山政雄1973.4.28-1985.4.27
- 西尾武喜1985.4.28-1997.4.27
- 松原武久1997.4.28-2009.4.27
- 河村たかし2009.4.28-2024.10.15
- 広沢一郎2024.11.25-
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