塩田 定市[注釈 1](しおだ ていいち、1886年(明治19年)6月17日 - 1940年(昭和15年)12月20日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級
経歴
1886年(明治19年)に福岡県で生まれた。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第31期卒業。1933年(昭和8年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に徳島連隊区司令官に就任した。1935年(昭和10年)に歩兵第47連隊長を経て、1937年(昭和12年)に陸軍少将に進級と同時に歩兵第12旅団長に就任した。
1939年(昭和14年)9月に台湾混成旅団長(第21軍)に転じ、日中戦争に出動。第21軍主力と離れ、南寧で第5師団と共に行動中、国民党軍15個師以上の攻撃を受け悪戦苦闘したが、第18師団・近衛混成旅団の救援により反撃した。同年10月には陸軍中将に進級し、賓陽作戦でも戦果を収めた。1940年(昭和15年)8月に東京湾要塞司令官に就任したが、同年12月20日に死去。
脚注
注釈
出典
参考文献