堀河 康親(ほりかわ やすちか)は、江戸時代後期の公卿。刑部卿萩原員幹の子。参議堀河親実の養子。官位は従二位権中納言。主に仁孝天皇(120代)と孝明天皇(121代)の二代にわたり仕えた。岩倉使節団の団長、岩倉具視の実父。
経歴
文化7年(1810年)に元服と共に叙爵。始め親孝と名乗ったが、文政2年(1820年)に康親と改名した。文政5年(1823年)仁孝天皇の侍従となり、天保4年(1833年)に従三位に昇進して公卿に列する。安政2年(1855年)に参議となったが、翌年辞し、踏歌節会外弁となる。
安政5年(1858年)の安政の大獄の際に八十八卿として子の親賀、康隆(親賀の養子)と共に連座した。翌年権中納言となるが病のため職を辞し、まもなく病で薨去した。
系譜