坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月16日 - 1966年(昭和41)9月28日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1890年(明治23年)に熊本県で生まれた。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐に進級、6月30日に歩兵第53連隊長(中支那派遣軍・第17師団・第17歩兵団)に就任し、日中戦争では、武漢攻略に参加した。1939年(昭和14年)8月に関東軍司令部附となり、1940年(昭和15年)8月1日に船舶輸送司令部門司支部長、9月4日に陸軍運輸部部員を経て、1941年(昭和16年)9月に第44碇泊場司令官(船舶輸送司令部)に就任した。
1942年(昭和17年)7月19日に第2船舶輸送地区隊長に転じ、8月1日に陸軍少将に進級した。12月1日には第4船舶輸送司令官に就任し、1944年(昭和19年)7月1日に独立混成第40旅団長を経て[4]、7月8日に独立混成第39旅団長(第8方面軍)に就任。1945年(昭和20年)4月30日に陸軍中将に進級し、終戦時はラバウルにあった。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
参考文献