坂井英光 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
愛知県 |
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生年月日 |
(1975-04-11) 1975年4月11日(49歳) |
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血液型 |
A型 |
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騎手情報 |
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所属団体 |
特別区競馬組合 |
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所属厩舎 |
栗田裕光(大井)→東京都騎手会[1] |
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勝負服 |
青・桃山形一文字 |
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初免許年 |
1995年 |
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免許区分 |
平地 |
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騎手引退日 |
2019年11月30日 |
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調教師情報 |
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初免許年 |
2019年12月1日 |
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経歴 |
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所属 |
騎手 物井榮(大井)→栗田裕光(大井)→東京都騎手会 調教師 2021年4月 - 小林牧場分厩舎 |
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坂井 英光(さかい ひでみつ、1975年4月11日 - )は、地方競馬・東京都騎手会(2018年5月21日 - [1]2019年11月30日)に所属していた元騎手で現在は大井競馬場に所属の調教師である。父は元名古屋競馬場の厩務員で、実弟に坂井薫人元騎手(現在大井競馬厩務員)。息子はJRA所属の騎手坂井瑠星[2]。全日本騎手連盟会長、東京都騎手会会長をつとめた。
いわゆる「栗田一門」門下であり、引退した市村誠(現調教師)・赤嶺亮(現調教師)・早見多加志・脇本一幸が同門に当たる。
来歴
大井・物井榮厩舎所属としてデビュー。初騎乗は1995年4月11日で、翌1996年には全日本新人王争覇戦に出場したりもしたが、しばらく成績は伸び悩み、2000年には27勝をマークしたが翌2001年には14勝と大きく後退するなど一進一退の状況が続いた。しかし2003年の後半ごろから徐々に上昇のきっかけを掴むと、翌2004年から一気にブレイク。62勝で南関東13位までジャンプアップした。
2005年は83勝で南関東10位、そして2006年には自身初となる年間100勝超え(103勝)を果たし、南関東7位にランクイン。大井競馬での成績に限れば2005年・2006年ともに3位であり、内田博幸・的場文男のスタージョッキーに続く位置まで上り詰めた。
2006年1月7日、中山競馬場第1競走で中央競馬初騎乗(16頭立て8着)。同日の第9競走でアヤパン(16頭立て5番人気)に騎乗し、5戦目で中央初勝利を挙げた。
成績が伸び始めてもなぜか重賞には縁がないままであったが、2007年1月17日のニューイヤーカップ (浦和競馬場) でレッドドラゴン号を優勝に導き、悲願の重賞初制覇を遂げた。
2007年4月22日、東京競馬場フローラステークス (GII) で中央重賞初騎乗(14番人気10着)。その後、同年の七夕賞、関屋記念、2008年の日経賞、2009年の青葉賞、2010年の共同通信杯、カペラステークスに騎乗しているが中央重賞は未勝利である。
2010年1月3日川崎競馬第10競走宝船特別で、ムーンライトクロスに騎乗して勝利、地方競馬通算1000勝を達成した。
2011年1月23日午前7時ごろ、大井競馬場で調教中に馬が転倒し落馬[3]。頭蓋底骨折、両肺挫傷、第8胸椎圧迫骨折で全治3か月と診断された。
2018年5月21日付で栗田裕光厩舎から東京都騎手会(中央競馬のフリー騎手に相当)所属に変更となった[1]。2018年11月12日大井競馬第11競走深秋賞をノアブリジットで勝利し、地方競馬通算2000勝を達成[4]。
2019年11月14日、新規調教師免許試験に合格し、これに伴い翌15日の騎乗をもって騎手を引退し、調教師へと転身する予定であると報じられた[5]。同月15日に大井競馬第8競走品川かえで賞で、スターリットに騎乗し地方競馬通算2028勝目を挙げ、有終の美を飾った[6]。同年12月1日付で調教師免許を取得。翌2日に大井競馬場で引退式が行われる[7]。
2021年4月1日、大井競馬小林牧場分厩舎にて開業する[8]。
主な騎乗馬
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主な管理馬
太字はダートグレード競走
出典:[10]
出典
外部リンク