国家労働奉仕団 (こっかろうどうほうしだん、独 :R eichsa rbeitsd ienst、略称:RAD )は、ナチス・ドイツ で失業対策として設立された労働組織であり、第二次世界大戦 中、ドイツ軍 の支援を行った補助機関でもある。アメリカ合衆国 における市民保全部隊 に似た組織である。
組織
女性部隊用団旗
組織は大きく分けて男性が所属する「Reichsarbeitsdienst Männer(略称RAD/M)」と女性が所属する「Reichsarbeitdienst der weiblichen Jugend(略称RAD/wJ)」の二つが存在した。
年齢は17~25歳までのアーリア系 ドイツ人が所属、6ヶ月間各種労働奉仕活動を行っており、男性は徴兵への準備期間としていた。RADは40の労働管区(Arbeitsgau)から構成され、各労働管区はそれぞれ、本部スタッフとWachkompanie(保衛中隊)によって運営された。各管区には6~8個の労働大隊 (Arbeitsgruppen)があり、各大隊には1,200~1,800名が所属した。1個大隊は200~300名が所属する中隊 (RAD-Abteilung)6個、各中隊は4個小隊(約70名)からなり、各団員にはシャベル と自転車 が支給された。
歴史
RADはヴァイマル共和政 時代のハインリヒ・ブリューニング 首相率いる社会民主党 政権下で1931年 6月5日 に創設された「奉仕勤労団(Freiwilliger Arbeitsdienst、FAD)」を起源としており、大恐慌 の影響で増加した失業者対策として運河 建設などを行っていた。
ナチスが政権を掌握 した後の1935年 、同党の「国家社会主義義勇勤労奉仕団(Nationalsozialistischer Arbeitsdienst、NSAD)」などと合流、6月6日 に公布された国家勤労奉仕法により国家組織となり、同月26日に国家労働奉仕団として設立した。RAD団員は、様々な市民サービス、軍事建設、公共事業、農業計画に従事しており、コンスタンティン・ヒールル が創設から最後まで総裁を務めた。ナチス政権下でRADは準軍事組織 (Wehrmachtgefolge)とされた。RADは1939年9月のポーランド侵攻 以前はアウトバーン 建設を行い、戦争勃発後は軍用道路、飛行場、鉄道の建設、補修などが主な仕事となった。
1939年 10月の時点で、1700個RAD中隊、総勢350,000名が所属しており、フランス侵攻 時には約900個中隊、ノルウェー にも18個中隊が送られ、同地やフィンランド などで道路建設に従事した。1941年 にバルバロッサ作戦 が発動されると、5個自動車化RAD大隊(15個中隊)が所属、1942年 、東部戦線 では472個中隊が活躍した。さらに同年8月以降は陸軍 、空軍 により直接徴兵され始めるようになった。その他ドイツ、フランス には空軍支援部隊として56個中隊、20,000名以上が処々の仕事を任されていた。
1943年 になると空軍支援部隊として6週間対空砲 の訓練を行い、420個中隊が空軍高射砲 部隊に所属し、他にも対戦車部隊、対空部隊など独自に軍隊化し、空軍から高射砲の運用を任され、88mm砲 、105mm砲を所有、対空、対戦車に活躍した。
1944年9月、連合軍 がマーケット・ガーデン作戦 を発動すると、RAD2個中隊が歩兵、砲兵として前線に投入され、以後はドイツ軍最後の人的資源となった。
ドイツの敗色が濃厚となった1945年 には、RADの訓練期間も短縮され、軍事訓練のみを行った。また、国民突撃隊 の創設も進んでおり、RADもこれに吸収される可能性があったが、総裁ヒールルが自身の権力維持のためにこれを拒否し、最後まで準軍事組織として生き残った。ただし、1945年4月、徴兵寸前の青年により3個師団(RAD第1、2、3師団)が設立され、後にドイツ史上の愛国者の名を冠して「アルベルト・レオ・シュラゲター (ルール占領 時、仏軍への抵抗運動に参加し銃殺された人物)」「フリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーン (「ドイツ式体操」の考案者で18~9世紀におけるドイツ統一運動の先駆者の一人)」「テオドール・ケルナー (ナポレオン戦争中に戦死した軍人。愛国詩人として有名)」とそれぞれ改名し、ヴァルター・ヴェンク の第12軍 に所属、「フリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーン師団」と「テオドール・ケルナー師団」はベルリン救出 作戦に参加、ポツダム まで進撃を見せた。
RAD第4師団「ギュストロウ」が1945年4年からメクレンブルクで編成中であったが、実戦に出ることなく終戦を迎えた。
また、ドイツ赤十字の救助隊を源流とする第9山岳師団・北部(ノルウェー)と、同盟の第9山岳師団・東部(シュタイアーマルク )が計画されていた。このうち後者は最終的に、RAD主体の2個連隊「シュタイアーマルク」と「エンス 」を基幹とする山岳師団「シュタイアーマルク」として結実した。同師団はRAD団員のほか、陸海空軍や武装親衛隊・警察、各種の軍学校などの人員で編成され、1945年4月中旬から敗戦までの期間、西進するソ連軍に対して防衛戦闘を行った。
制服
男性隊員の制服
女性隊員の制服
所属部隊を示す袖章
袖章の装着例
階級
その他
意思の勝利 - 劇中にRADが登場する。
脚注
参考文献
英語表記は英語版で使用されたものである。
Kiran Klaus Patel: Soldaten der Arbeit. Arbeitsdienste in Deutschland und den USA, 1933-1945, Verlag Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 2003 459 S. ISBN 3-525-35138-0
English title: "Soldiers of Labor. Labor Service in Nazi Germany and New Deal America", 1933-1945, Cambridge University Press, New York 2005, ISBN 0-521-83416-3 .
大阪毎日新聞、昭和11年12月21日版
高橋慶史『続 ラスト・オブ・カンプフグルッペ』大日本絵画、2005年、ISBN 4-499-22748-8
関連文書
黒正巌 労働に歓喜するドイツ青年 大阪朝日新聞、昭和11年6月7-9日, 11日版
黒正巌 ナチス独逸は滅びず 日本評論11巻7号 昭和11年
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