台東庁 臺東廳
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日本統治下台湾の庁
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1897年 - 1945年
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政庁所在地
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台東街
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歴史
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- 創立
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1897年
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- 廃止
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1945年
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面積
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- 1940年
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3,515.25km2
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人口
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- 1940年
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86,852
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人口密度
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24.7/km2
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行政区画
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3郡
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現在
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台東県
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台東庁(たいとうちょう、旧字体:臺東廳)は、かつて台湾の地方行政区分だった五州三庁の一つで、現在の台東県にあたる。
人口
1941年台湾常住戸口統計より
- 総人口 9万3138人
- 内訳
- 内地人 7078人
- 台湾人 8万5068人
- 朝鮮人 35人
- その他 957人
行政区分
- 1945年当時
- 背景色が■である部分は1945年以前に廃止された行政区分
郡・街庄
台東庁長
- 相良長綱:1896年5月18日-1904年3月23日
- 森尾茂助:1904年3月23日-1909年10月25日
- 朝倉菊三郎:1909年10月25日-1911年10月28日
- 能勢靖一:1911年10月28日-1916年11月13日
- 市来半次郎:1916年11月13日-1924年1月2日
- 齋藤透:1924年1月2日-1929年10月26日
- 児玉魯一:1929年10月26日-1933年2月2日
- 本間善庫:1933年2月2日-1935年8月21日
- 大磐誠三:1935年8月21日-1939年1月28日
- 佐治孝徳:1939年1月28日-1939年12月27日
- 藤田淳教:1939年12月27日-1942年8月7日
- 山岸金三郎:1942年8月7日-1944年2月14日
- 鈴樹忠信:1944年2月14日-1945年7月27日
- 那須重徳:1945年7月27日-1945年10月25日
医療
法院(裁判所)
昭和20年(1945年)当時
(審判の行うことの無かったものを「裁判所」とカウントしなかった)(沿革略)
警察
昭和20年(1945年)当時
気象
昭和17年(1942年)当時
教育
中等教育学校
専売局
昭和20年(1945年)当時
鉄道
昭和19年(1944年)の路線
総督府鉄道
道路
昭和14年(1939年)当時
指定道路
- 台東花蓮港道
- 台東上大和道
- 台東港道
- 台東知本道
- 都蘭富里道
- 楓港台東道
港湾
昭和13年(1938年)当時
主要地方港
神社
国立公園
企業
庁内に本社を有する資本金50万円以上の企業である(昭和7年・1932年当時)
農林水産業
製造業
関連項目
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三県(民政支部)一庁(1895年 - 1897年) | |
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六県三庁(1897年 - 1898年) | |
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三県三~四庁(1898年 - 1901年) | |
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二十庁(1901年 - 1909年) | |
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十二庁(1909年 - 1920年) | |
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五州二~三庁(1920年 - 1945年) | |
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