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原田 研太朗 |
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基本情報 |
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本名 |
原田 研太朗 はらだ けんたろう |
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愛称 |
ハラケン |
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生年月日 |
(1990-09-16) 1990年9月16日(34歳) |
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身長 |
165.0cm |
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体重 |
77.0kg |
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選手情報 |
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所属 |
日本競輪選手会 徳島支部 |
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ホーム |
小松島 |
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期別 |
98期 |
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脚質 |
逃 |
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登録地 |
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2010- |
徳島 |
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■最終更新日:2024年6月20日 ■テンプレートを表示 |
原田 研太朗(はらだ けんたろう、1990年9月16日 - )は、徳島県阿南市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第98期生。日本競輪選手会徳島支部所属。ホームバンクは小松島競輪場。師匠は下川健治(57期)。
来歴
徳島県立徳島工業高等学校[1](現:徳島県立徳島科学技術高等学校を経て、競輪学校に技能試験合格し98期生として入学。在校競走成績は38位(13勝)。2010年7月5日、熊本競輪場でデビューし初勝利。2012年にはヤンググランプリ(8着)に出場し、同年度の優秀新人賞を受賞した[2]。
2015年、第68回日本選手権競輪で特別初優出(9着)。開設記念競輪では2016年の立川記念を皮切りに、2022年の豊橋記念まで5回の優勝を記録している[3][4]。
GI制覇を明確な目標に掲げ、徳島のエースとしての地位を築いた原田であったが、淡白なレース運びに加え、苦手な番手戦の増加も伴い、徐々に存在感を失っていった[5][6][7]。悩む原田に同県の小倉竜二は「明日からは全部先行するか、全部番手に行くか決めろ」とアドバイスを送り、原田は2022年10月の京王閣記念初日に「ノダゲンスタイル(常に自力。野田源一のように人の後ろは回らない)」を宣言した[注 1][6][9][10]。
記録
2018年、第2回ウィナーズカップ(松山競輪場)3位。同大会3日目の準決勝(3月20日)で1着となり、通算300勝を達成(登録日から7年10か月19日、710走目)。1994年に改正された現行規程による、JKA表彰対象となる「登録日から10年以内で通算300勝」の達成は史上5人目(神山雄一郎、吉岡稔真、小嶋敬二、武田豊樹に続くもの)であった[11][12][13]。その後3月25日に小松島競輪場にて、通算300勝表彰式が執り行われた[14]。
2021年12月26日の防府FI2日目準決勝から2022年2月12日の小倉FI初日予選特選まで全て1着となり、16連勝を記録。吉岡稔真が持つS級連勝記録(18連勝)に迫ったが、翌日の準決勝では7着に敗れ連勝記録が止まった[15](滝澤正光に並ぶ歴代2位<当時。2022年9月時点では脇本雄太、吉岡に次ぐ、滝澤とともに歴代3位>の記録)。
2024年1月28日名古屋FI(ナイター)初日第8レース(予選)で勝利し、通算500勝を達成。S級創設(1983年4月)以降女子(4人)も含めて通算53人目の記録で[16]、登録日から13年8か月27日(登録日を含まない)での達成であった。後日、JKAより表彰予定[17]。
特徴
身長164cm、体重69kgという小兵[18]ながら、先行・捲りの自力を主体とする選手。捲りのスピードはSS級の自力選手を凌駕するほどだが、レースの組み立てや位置取り、番手戦を苦手とする[19]。前述の通り、2022年以後は人の後ろを回らない事を宣言している。
脚注
注釈
- ^ 野田源一(福岡、81期)。常に自力で戦い、単騎での競走が多い選手。その競走スタイルを大工の源さんになぞらえ「単騎の源さん」の愛称がある[8]。
出典
外部リンク