原 忠一(はら ちゅういち、1889年(明治22年)3月15日 - 1964年(昭和39年)2月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
島根県松江市出身。旧制島根県松江尋常中学校より海軍兵学校第39期入校。入校時成績順位は150名中第53位、卒業時成績順位は149名中第85位。余談ではあるが官報によると原は陸軍士官学校第23期の試験も合格しており、騎兵第八連隊への配属も決まっていた。原が陸軍将校の人生を選んでいたら、その後の海戦史がどうなったのか関心がある。北部仏印進駐の際は第二遣支艦隊参謀長として陸軍強硬派との対応に追われる。第五航空戦隊司令官として、航空母艦を主力とする世界初の海戦となった珊瑚海海戦を指揮した人物である。
海軍大学校甲種学生時代は学生長であり[1]、草鹿龍之介、山口多聞、福留繁らと同期である。あだ名に「原忠」、あるいは単に「忠」[2]。海軍大学校同期で、兵学校では一つ上の先輩である五十嵐恵とは親友であった。
身長体重共に日本人離れした大柄な体格から、「キングコング」のあだ名があった。[3]
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