南 廣(みなみ ひろし、1928年〈昭和3年〉3月15日[1][2] - 1989年〈平成元年〉3月4日)は、日本のミュージシャン・俳優。本名は中島 廣。旧芸名は南 広。別名はサウス。東京府東京市麹町区生まれ。法政大学工業専門学校中退[2]。趣味・特技はドラム。
1947年(昭和22年)に「渡辺晋とシックスジョーズ」を、1952年(昭和27年)にはジャズバンド「南廣とザ・サウスメン」を結成。
ジャズドラマーを経て、1958年(昭和33年)、映画『非常線』のバンド・マスター役で俳優デビュー。同年8月に東映と専属契約を結び[1]、主に東映東京撮影所の現代劇映画で活躍。1960年の『弾丸大将』では批評家から肯定的な評価を与えられた[1] 。
円谷プロダクション制作の特撮テレビ番組『ウルトラセブン』(1967年 - 1968年)での宇宙ステーションV3・クラタ隊長や、1968年の『マイティジャック』とその続編『戦え! マイティジャック』の天田一平副長(『戦え!』では隊長)役でも知られている。
1971年(昭和46年)にはCM・PR映画製作会社の「サウス」を設立し、代表取締役に就任。
1989年(平成元年)3月4日、公立学校共済組合関東中央病院にて肝臓癌のため死去。60歳没。