千種 有能(ちくさ ありよし)は、江戸時代前期の公卿。木工頭・岩倉具堯の四男。官位は正二位・権大納言。千種家(村上源氏の久我家の分流)を復興させた人物。
経歴
京都に生まれる。久我家の古い分家・千種家を偲んで千種を氏とした。元和9年(1623年)に叙爵し、寛永2年(1625年)には元服して侍従に任じられ、以降累進して慶安2年(1649年)には従三位となり公卿に列した。
明暦元年(1655年)、正三位参議。明暦2年(1656年)参議を辞職し、踏歌節会外弁となる。さらに寛文5年(1665年)に権中納言に任じられ、寛文9年(1669年)まで務めた。寛文6年(1666年)に従二位となる。延宝3年(1675年)から天和3年(1683年)にかけては武家伝奏役を務めた。この間の延宝4年(1676年)には権大納言となっているがすぐに辞している。また延宝5年(1677年)には正二位となる。
貞享3年(1686年)に72歳で出家。その翌年に死去した。正室に久我通前の姫を迎えており、その間に千種有維、植松雅永を儲けた。また、上野沼田藩主の真田信吉の娘(長姫)を継室としている。
系譜
関連項目