北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。
東京生まれ。1934年旧制府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を四修で卒業。1940年早稲田大学国文科卒。出征ののち、1943年東亜交通公社勤務。川端康成に師事し、1940年『埴輪と鏡』で芥川賞候補。戦後、鎌倉文庫に入社、編集をおこなう。1946年『寒菊』『一年』で野間文芸奨励賞受賞。 1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北村寿夫とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった[1]。 1953年(昭和28年)『白扇』で直木賞候補。その後もラジオ、舞台、テレビの脚本を書き、1963年(昭和38年)、最初の大河ドラマ『花の生涯』の脚本も担当した。ほか少女小説、恋愛小説を多数書いた。1971年の都知事選では秦野章後援会副会長。川端康成が自殺した際、メモには北條の電話番号が書いてあったという。翻訳家の北條元子は娘。その夫は馬術選手の法華津寛。
1976年(昭和51年)11月18日、腎不全のため東京女子医科大学病院で死去。日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本文芸著作権保護同盟、川端康成記念会による合同葬が営われた[2]。
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