刈谷町(かりやちょう)は、かつて愛知県碧海郡に存在した町。現在の刈谷市の中央部に相当する。
地理
北は碧海郡富士松村に、東は知立町や安城町に、南は依佐美村に、西は境川を経て知多郡に接していた。名古屋市と岡崎市のほぼ中央にあった。岡崎平野に位置しており、最低標高は2.8メートル、最高標高は10.2メートルと平坦だった。
総面積は12.8平方キロメートルであり、内訳は田が50%、宅地が22.4%、畑が12.6%、官有地が9.2%、無租地が2%、原野が1%、山林が1%などだった。
地形
- 河川
- 海域
大字
人口
- 1891年(明治24年) - 2,671人
- 1907年(明治40年) - 7,895人(現住人口調査)
- 1910年(明治43年) - 8,391人(現住人口調査)
- 1920年(大正9年) - 8,816人(第1回国勢調査)
- 1930年(昭和5年) - 15,396人(第3回国勢調査)
- 1940年(昭和15年) - 22,678人(第5回国勢調査)
- 1950年(昭和25年) - 30,900人(市制施行時)
歴史
年表
- 江戸時代には刈谷城の城下町として発展。
- 1888年(明治21年)8月 - 官営鉄道(現・JR東海道本線)刈谷駅が開業。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、刈谷村の区域をもって碧海郡刈谷町が発足。
- 1892年(明治25年) - 刈谷郵便局が電信業務を開始。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 碧海郡刈谷町、逢妻村、小山村、重原村、元刈谷村が合併し、改めて刈谷町が発足。大字刈谷、元刈谷、熊、高津波、小山、重原を設置。
- 1914年(大正3年) - 三河鉄道が開業。
- 1915年(大正4年)11月23日 - 刈谷町立刈谷図書館(現・刈谷市中央図書館)が創立。
- 1919年(大正8年) - 旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)が開校
- 1921年(大正10年) - 旧制刈谷高等女学校(現・愛知県立刈谷北高等学校)が開校。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 刈谷町が市制施行して刈谷市が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 刈谷市が碧海郡依佐美村の大部分と富士松村を編入。
行政
歴代町長
- 1906年~1908年 加藤新右衛門
- 1908年~1911年 正木通平
- 1911年~1915年 谷沢紋治郎
- 1915年~1919年 岡本廣太郎
- 1919年~1921年 藤井清七
- 1921年~1923年 岡本廣太郎
- 1923年~1928年 加藤達平
- 1928年~1926年 井野直治
- 1936年~1946年 大野一造
- 1946年~1947年 竹中七郎
- 1947年~1948年 石原平一郎
- 1948年~1950年 岡本謹平
経済
- 刈谷町に本社を置いていた企業
- 刈谷町に工場を置いていた企業
- 愛知製鋼株式会社
- 東海炉材株式会社
- 日本陶管株式会社
- 東亜合成化学工業株式会社
- 金融機関
- 農業協同組合
- 刈谷農業協同組合
- 元刈谷農業協同組合
- 熊農業協同組合
- 小山農業協同組合
- 高津波農業協同組合
- 重原農業協同組合
教育
小学校
中学校
高等学校
交通
鉄道
施設
- 郵便局
- 刈谷郵便局 - 大字刈谷字八丁南裏16-1
- 本町郵便局 - 大字刈谷字本町16
- 桜町郵便局 - 大字刈谷3-5
- 公民館
- 刈谷市中央公民館 - 大字刈谷字末町53
- 元刈谷公民館 - 大字元刈谷字西中屋敷37-1
- 重原公民館 - 大字重原字西屋敷77
- 高津波公民館 - 大字高津波字ガケハタ101
- 熊公民館 - 大字熊字北屋敷25
- 小山公民館 - 大字小山字寺屋敷19
- 新町公民館 - 大字刈谷字北西15-5
- 図書館
- 報道機関
参考文献
- 刈谷市役所総務部統計係『刈谷市勢要覧 昭和廿五年』愛知県刈谷市役所、1950年10月5日
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 (23) 愛知県』角川書店、1989年
関連項目