出羽海(でわのうみ)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。名跡名の由来は出羽国(現在の山形県、秋田県)と考えられ、江戸相撲ではなく庄内地方の名跡だったとも言われる[1]。
初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山谷右エ門)と同じ年寄名を名乗ることを畏れ多きことと判断した6代目(元小結・両国梶之助)が、表記上のみノを外し、出羽海として継承した。これ以降、5代・出羽ノ海に対する敬意が今日まで代々受け継がれ、表記は出羽ノ海ではなく出羽海となっている。
出羽海の代々
代目 |
引退時しこ名 |
最高位 |
現役時の所属部屋 |
襲名期間 |
備考
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初代 |
出羽ノ海運右エ門 |
前1 |
友綱部屋 |
1800年頃 |
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2代 |
鹿間津滝右エ門 |
幕下1 |
出羽ノ海-小野川(大阪)-出羽ノ海部屋 |
1808年-1809年 |
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3代 |
桂川立吉 |
幕下 |
--- |
1862年-1890年1月? |
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4代 |
常陸山虎吉 |
前1 |
入間川-出羽ノ海 -浜風-出羽ノ海部屋 |
1890年1月-1915年1月(廃業) |
二枚鑑札
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5代 |
常陸山谷右エ門 |
横綱 |
入間川-出羽ノ海 -三ッ湊(名古屋)-中村(大阪) -?(広角組)-?(広島) |
1914年5月-1922年6月(死去) |
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6代 |
両國梶之助 |
小結 |
時津風(大阪)-不知火(大阪) -出羽ノ海部屋 |
1923年1月-1948年10月(死去) |
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7代 |
常ノ花寛市 |
横綱 |
出羽ノ海-出羽海部屋 |
1949年1月-1960年11月(死去) |
第2代・相撲協会理事長
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8代 |
出羽ノ花國市 |
前1 |
出羽海部屋 |
1960年11月-1968年3月 |
13代武蔵川に名跡変更 第4代・相撲協会理事長
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9代 |
佐田の山晋松 |
横綱 |
出羽海部屋 |
1968年3月-1996年2月 |
12代境川に名跡変更 第7代・相撲協会理事長
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10代 |
鷲羽山佳和 |
関脇 |
出羽海部屋 |
1996年2月-2014年1月 |
15代高崎に名跡変更
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11代 |
小城乃花昭和 |
前2 |
出羽海部屋 |
2014年2月- |
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力士としての出羽海
- 出羽海運右エ門 (初代) - 天明・寛政年間(1780・90年代)の力士。最高位前頭筆頭。出羽海金藏 → 出羽海運右エ門(初代)と改名。
- 鹿間津瀧右エ門 - 享和・文化年間(1800年代)の力士。最高位幕下筆頭。鷲ヶ浜音右エ門(2代) → 鹿間津瀧右エ門 → 出羽ノ海滝右エ門と改名。
- 出羽ノ海軍右エ門 - 1860年代の力士。最高位幕下9枚目。
- 出羽ノ海運右エ門 (2代) - 1880・90年代の力士。最高位前頭筆頭。常陸山虎吉 → 出羽海運右エ門(2代) → 出羽ノ海運右エ門と改名。
脚注
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) p8
関連項目