冨島 元治(とみしま もとはる[1]、1874年(明治7年)2月16日 - 1945年(昭和20年)11月16日)は、日本の判事・台湾総督府官僚。高雄州知事。
経歴
京都府に冨島元起の長男として生まれる。京都府立第一中学校、第二高等学校を経て、1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。京都地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、宇都宮地方裁判所部長判事を歴任。
台湾総督府総務長官・賀来佐賀太郎の招きにより台北に赴任し、覆審法院判官となった。その後行政官となり、南投庁長、台北庁長を歴任した。さらに台湾総督府警視総長(1919年5月21日 - 1919年6月28日)、同警務局長(1919年6月28日 - 1920年9月1日)を務めた。1920年(大正9年)より初代高雄州知事(1920年9月1日-1924年12月25日)に就任した。
1924年(大正13年)に退官し、1926年(大正15年)より京都市で公証役場を開き、公証人として活動した。
親族
脚注
参考文献
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
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五州三庁時代 |
- 冨島元治1920.9.1-1924.12.25
- 木村英俊1924.12.25-1924.12.28
- 三浦碌郎1924.12.28-1926.10.12
- 高橋親吉1926.10.12-1927.7.27
- 太田吾一1927.7.27-1931.1.20
- 平山泰1931.1.20-1931.9.12
- 野口敏治1931.9.12-1933.8.4
- 西沢義徴1933.8.4-1935.9.2
- 内海忠司1935.9.2-1939.1.28
- 赤堀鉄吉1939.1.28-1941.5.14
- 坂口主税1941.5.14-1943.11.13
- 高原逸人1943.11.13-1945.10.25
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- 菊池末太郎 1901.11.11-1903.9.16
- 佐藤友熊 1903.9.16-1907.9.12
- 加藤尚志 1908.9.12-1909.10.25
- 井村大吉 1909.10.25-1914.7.1
- 加福豊次 1914.7.1-1917.9.26
- 冨島元治 1917.9.26-1919.5.21
- 今川淵 1919.5.21-1920.5.21
- 梅谷光貞 1920.5.21-1920.10.1
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