冨家 政市(ふけ まさいち、1877年(明治10年)8月14日 - 1945年(昭和20年)9月28日[要出典])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。高松市長。
経歴
香川県、現在の高松市[2]出身。香川県尋常中学校卒を経て[2]、1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校(10期)を卒業。1899年(明治32年)6月27日、陸軍工兵少尉に任官し、1924年(大正13年)2月4日に陸軍少将に至った[4]。その間、陸軍士官学校教官、第3軍兵站電信隊長、工兵第5大隊中隊長、陸軍砲工学校教官、教育総監部工兵監部員、陸軍大学校教官、鉄道連隊附工兵第19大隊長、同第13大隊長を歴任した。少将としては対馬要塞司令官、陸軍科学研究所第1部長を務めた[4]。1928年(昭和3年)8月10日に待命、同月29日予備役に編入された[4]。
1934年(昭和9年)5月27日、高松市長に就任[2]。高松市防護団の編成、近隣町村との合併、戦時下の防災準備などに尽力し、1942年(昭和17年)5月31日に退任した[2]。戦後、公職追放となる[5]。
人物
軍人出身であったが、温厚でユーモアに富んだ性格で、高松市民に親しまれた[2]。
栄典
- 位階
- 勲章
脚注
- ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第3巻、309頁。
- ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』630頁。
- ^ 公職追放の該当事項は「翼賛市支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、672頁。NDLJP:1276156。 )同書には「富家政市」と表記されている
- ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十三年版』日本官界情報社、1937年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。